Essence of Europe
北東スペイン訪問記

北東スペインを、それもワイン探しの旅に出た理由から書き始めたのですが、あっ
と言う間に長い文章になってしまいました。そんなのどうでも良いから旅先の話を
早く書けと言われる方も多いでしょうから前置き部分として分離しました。
そして北東スペインと筆者が名付けている地域はどこなのか、ワイン産地としてど
ういう歴史を持っているかなども前置きの一部になります。これらをまとめて1章 としました。
この前置きを知りたい方は1章読まれれば良いし、本来の旅行訪問記で旅先情報だ
けを知りたい方はここを飛ばしてください。但し、今回の訪問記の訪問旅行は基本
的に筆者のワイン仕入れと一体の旅であるとの事情はご理解ください。

それでは前置きを含めて下記の目次で記していますのでお楽しみの上、ご旅行の計
画などあれば参考にして頂ければ幸いです。


目次
§1 - -   序章:何故スペイン?北東部とは?
§2 - -   1日目(日曜) : バスクの入り口ビルバオ到着
§3 - -   2日目(月曜) : ビルバオ発、パンプロ-ナへ
§4 - -   2日目から3日目(火曜) : パンプロ-ナを拠点に
§5 - -   4日目(水曜) : パンプロ-ナ発、一時迷走、ログロ-二ョへ
§6 - -   4日目から5日目(木曜) : ログロ-二ョを拠点に
§7 - -   6日目(金曜) : ログロ-二ョから”ワインの首都”ア-ロへ
§8 - -   7日目(土曜) : ア-ロからビルバオ空港へ、ふり返って

1.序章:何故スペイン?北東部とは?

ここは序章、前置きです。何故スペインに旅したか?その旅先はワイン産地ですが
どんな所なのかをまとめました。長い文章になってわかり難いので図版などを付け
てわかり易くと思ったのですが時間とスキルが追い付かずとりあえずこのまま発行
します。ワイナリ交渉を兼ねてスペイン旅行をしたんだなとのご理解でここは飛ば
して頂いて結構です。旅日記自体は2章からで、そこからお読みください。

日本のスペインバル・スペイン料理隆盛

2012年に日本に戻った筆者はEssence of Europe(EoE)活動を開始しました。
欧州滞在時の体験や情報をWEBサイトで開示して欧州旅行や滞在をされる方の
お力になると共に欧州の香りのする特産品、名産品などの輸入販売も行って、文化
の交流と同時に経済活動にも参加する計画でした。
但し、実際にやってみると商品の選択が難しく、これと思った商品が国によって異
なる規制のために輸入が実現しない等、現実の厳しさを思い知らされました。
こういう中でもワインはヨーロッパの香り、そしてヨーロッパの中でも国や地域で
の香りの違いもあり、提供者の広がりもあって実現に至った商品です。
滞在していたドイツとそこから紹介を受けたイタリアのら友人達の経営するワイナ
リのワインを輸入販売できることになりました。
慣れないながら現在ワイン販売コーナーにて販売をしており、珍しい良質ワインを
リーズナブルな価格で提供していると一定の評価を頂けています。ご興味を持たれ
た方は EoEサイト をご覧ください。

さてこのワイン販売活動で一度試飲紹介のイベントに出席しました。ここで実際に
世の中がどうなっているのかを思い知らされることになります。尤も思い知らされ
るために出席したので目的どおりではあったのですが。
実はそれでも色々思い知らされた実状も、大体自分がこうじゃないかなあ?と予測
していたものとそう大きく違ってはいなかったのですが、一つ意外な事実が突きつ
けられました。それはこの試飲イベントにやって来られたレストランのデータベース
(DB)を作ってみたのですが、スペイン料理の店がかなり多くあった事です。
このDBは勿論大規模とは言え、一つの試飲会の出席者にしか過ぎませんから数字
的にはそう根拠はありませんが、やはりスペイン料理店が増えているのは傾向とし
て間違い無さそうです。
ついでに言いますと日本ではまだまだフランス料理店も多いなと感じましたがこれ
はワイン試飲会のバイアスがあるかもしれません。ドイツでは圧倒的にイタリアが
優勢、次にフランス、スペインが並んでいる感がありました。これもドイツとフラ
ンスが隣国故に仲が宜しく無いバイアスがあるかもしれません。

さて何故スペイン料理がこの数年間に増えたかについて色々調べてみると面白い
本に行き当たりました。君島佐和子氏著「外食2.0」(朝日出版社)です。この本
によれば2008年のリーマンショックで多くの当時50歳代前後の方がリストラの
憂き目に合い、貯蓄や手にした退職金での次の職としてスペインバルを始めたの
が一因とあります。大体手元で動かせるのが個人ベースだと1000万円、既にプレイ
ヤーが多く、大規模投資でないと追随できないフランス、イタリアのレストランで
はなく、何かないかと探して目をつけたのがスペインバル。軽い食事から飲み会
中心でのちょっとつまむ食時、人数も一人から大勢のグループ迄対応でき、おいし
いがそう高く無い行きつけ酒場兼食堂。ここでスペインバルの提供者と利用者のニ
ーズがマッチしてうまく立ち上がり始めました。
勿論これはきっかけであり、これに刺激され、その可能性に気付いた若者や起業家
も参入を始め、新鮮さに魅せられた客も増えました。これらの動きが従来からある
スペイン料理店にも良い影響を及ぼして今日のスペインバル、スペイン料理隆盛に
至ったと言う動向なのでしょう。
こういう経緯からスペイン系は個人ベースとか小規模のお店も結構あるようです。

で、筆者も大きな会社ではなく小規模ですから、大手のフランス、イタリアレスト
ランに納入には商品だけでなく総合サービス提供など色々な壁があるのに気付い
たのは前述のとおりです。
一方バルや小規模店は割合受け入れてもらえる素地もありそうです。これだけ多く
のバルや料理店があるのだからチャンスもあろうとは思ったのですがまだ大きな
障害がありました・・・それは当然の話ですがやはりスペインバルや料理店で飲む
のは基本がスペインワインと言うことです。
調べてみると勿論スペインバルでもスペイン以外のワインも置いてある所はありま
すが、やはり先ずはスペインワイン。そう、そこで私もこの大きなチャンス領域に
アプローチするには必須であり、又私自身あまり知らないからこそ自分でもおいし
いと思える未知のスペインワイン探しの旅に出ることにしました。

筆者がドイツ滞在中に行ったのは専らスペイン南部でした。会社の仕事で何度も行
ったバルセロナにもおいしいワインがあるのは知っていました。しかし、やはり扱
うからには良質でHPの題名どおりヨーロッパの香りがあって日本には珍しいもの
をと思い調べました。その結果、日本人にとってはややマイナー(しかし最近は
流行っている面もあるようですが)ながら、ワイン産地としては一流で歴史もある
ナバラとリオハ(共に自治州)に行きつきました。尚、州名リオハは正式にはラ・
リオハですがここでは省略形のリオハを通常使わせて頂きます。

”バスク”の探求

さて、このナバラとリオハのある北東スペイン地域はバスク地方と呼ぶと聞いた事
がありますが、バスク州と言うのもこれとは別にあります。
どうなっているのか調べると、結局バスクはこの地方一帯を指す広い意味と、或る
特定州の呼称として使われている狭い意味があるようです。これは大阪と言っても
大阪府と大阪市があるのに似ていますが、大きい意味のバスクはより大きく民族や
言語の固まりと言った人種、文化面迄含んだ固まりです。
まあ、人種はともかく大阪弁なども立派にあるのでやっぱり広義のバスクは大阪み
たいな表現かな?となるのですが、ここでいつもの事ですが日本が島国であるのが
ヨーロッパなどと歴史面でやや違う展開になるのだなあと感じてしまいます。
そう、地続きのヨーロッパでは強国が勃興すると割合簡単に攻め込まれて占領支配
が繰り返されるので複雑になり易いのですが、この地も例外では無いのでしょう。



バスク説明のための7地域図(Wikipediaより模写)


広義のバスク、つまり民族、言語、文化の固まりとしての元々のバスクは上記図の
如く7つの地域から成っていると言うのがバスク独立を目指した(ている?)人の
言い分です。
この7つの地域は10世紀頃にはナバラ王国としてまとまっていましたが、11世紀
にサンチョ大王が出て他の王国を併合、膨張しました。しかしその死後分裂をして
ナバラ王国よりも発展を遂げて行くスペインに順次併合されます。
この併合は弱体であったアラバ、ビスカヤ、ギプスコア地域は早期に行われ、逆に
そのためにある程度の自治権が残されました。一方残ったナバラ王国のピレネー山
脈以南はスペインに16世紀に併合され、ピレネー以北がナバラ王国として残りま
す。この残った北ナバラ王国は今度は逆にこの王がフランスの王としてブルボン朝
を開祖することになり、こういう経過の中でフランスの州として自然併合されるの
です。
遅くスペインに併合された南ナバラは自治の歴史ができず、一方早期に併合された
アラバ、ビスカヤ、ギプスコア3地域は自治の伝統が続く訳です。これが第二次大
戦後にフランコ独裁の崩壊で現在のスペインになる時に3地域がバスク自治州とし
て狭い意味のバスク(=バスク自治州)となり、各地域が県として機能する体制に
繋がります。一方、南ナバラは歴史の違いからバスクとは別のスペイン自治州とな
る道を選び現在に至ります。

広義のバスクを取り戻そうとする民族運動も一時過激な行動を取りましたが、現在
は底流でまだ残っているかもしれませんが表向きは穏やかになっているようです。
以上は Wikipedia などをを基に筆者がまとめたものです。より詳細は原典をお読み
下さい。
このバスクの物語は昔(と言っても30年程前)も興味を惹いたテーマのようで、
実際に訪問されて人間どうしの付き合いとして交流を記録した書物がありました。
これは狩野美智子氏著 『バスク物語 地図に無い国の人びと』(1992年7月
彩流社刊行)です。著者独力でパリのバスク亡命政府に乗り込む所から始まる物語
はバスクの歴史に興味ひかれると同時に、海外渡航やインターネット等のインフラ
が今のように整っていない時代にこのテーマに取り組んだ個人が居たのだと感銘を
受けました。

長くなりましたが以上の調査の結果、私がワインの観点から選んだナバラとリオハ
はナバラが旧広義のバスク地方の中心だったが今では同名のスペイン所属自治州の
一つであり、リオハは広義のバスクにも狭い意味のバスク(=バスク自治州)にも
隣接する自治州と言うことになります。
早くからスペインに併合される事で19世紀から20世紀にかけての近代産業興隆
のメリットを享受したのが現在のバスク自治州であり、それを構成する3県です。
アラバ県の県都ビトリアは同時にバスク自治州の州都でもあり、ビスカヤ県の県都
ビルバオ、ギプスコア県の県都サン・セバスチャンと共に繁栄を誇っています。
そして勿論こういう地域の後だて、こういう大消費地を抱えてこそのナバラとリオ
ハのワイン産地としての興隆もあったに違いありません。

そしてこの地域の歴史が頭に入った後はナバラ、リオハのワインの歴史です。これ
もネットや諸種の本を調べた結果を自分なりにまとめてみました。ポイントは次の
ようになります。

スペイン北東部のワイン


リオハは元々ワイン作りに適した地ではあり、古代からワインが作られていた形跡
もあります。しかし、イスラム勢力による占領などの混乱のためか中々定かな文献
証拠は残っていません。そしてその後も土着品種での伝統が続きますが、これは自
家用が多く旧来のワイン造りでした。
この状況を変えたのが1860年代にウドンコ病やフィロキセラと言った病気が隣の
フランス、ボルドーにて発生した事です。ボルドー?そう、地図を見ますとこのリ
オハとボルドーは300Km余、東京ー名古屋程度の近さなのです。
病気発生で葡萄を作れなくなったボルドーのワイナリが目を付けたのがこのリオハ
だった訳です。多くのボルドーのワイン造りの人材が移動して来ました。又リオハ
からも起業家ワイナリがボルドーからの要請に応えてその技術を習得しに出かけま
した。その結果、従来自家用ワイン向けに房をまるごと石のラガレスに入れて足で
踏んで発酵させるスタイルからオークの大桶で発行させて225lのオーク樽で発
酵させる、ボルドー由来ではあるがそれを洗練させたリオハ式とも言えるスタイル
へと変換しました。
これはリオハを欧州の高級ワインとして知らしめただけではなく、長い間(~1970)
リオハ式はスペインワインの大半を占める方式だったようです。

ボルドーからの技術移転で19世紀後半にスペインワインの先導標準となり、良質
ワイン製造で世界に冠たる名産地になるリオハですが、20世紀に入ってからは又
様々な試練に見舞われます。ボルドーを襲い、自らの繁栄の元にもなった葡萄の病
気フィロキセラがリオハを襲うのである。これから立ち直っても今度はワインが大
衆時代に入り、良質のリオハワインよりも低価格で品質重視ではないスペイン各地
のワインが大都市の需要を握り、リオハは量的な主流にはなれませんでした。
しかし、この量での主流になれず、質重視が守られたのがその後に良い影響を与え
たと言えるかもしれません。

2次大戦後の経済復興、発展の中でイギリスなどへの海外輸出を梃子にリオハも嘗
ての19世紀繁栄以来久々に伸びるのですが、1970年代後半から今度は質の問
題に直面します。急激な発展のために工業生産のように効率重視となりました。
これは実際にはワインの栽培農家とこれをワインに仕立て上げる醸造家、ワイナリ
ーがばらばらとなってしまう、所謂水平分業の悪さが出てしまったのです。
水平分業は効率と安価を達成する優れた手段ですが、ここで質を維持できなかった
ので、それを期待していた国際市場から不評を買ってしまいました。
これを反省して1980年代以降、ワイナリーは自らの畑を所有して思い通りのワ
インを造る姿勢に変わりました。

又、同時期にアイデンティティの問題も出ました。これはフランコ独裁体制が解け
て自由を得たスペインが突っ走ってしまった面もあるようですが、国際化を意識し
て土着の葡萄からカルベニスヴェニョンやメルロ―、シャルドネと言ったどこでも
ありの品種に走ってしまい新興国などとの違いが埋没て、激しい価格競争にさらさ
れることにもなりました。

1990年代に入って土着葡萄のテンプラニーニョ、ガルナッチャなどが復活し、伝
統への回帰が行われて漸く再度この地らしい特徴に秀でたワインが登場するように
なります。特に2000年代前半へと続く欧州連合の伸びに応じて落ち着いた優秀
なワインが出るようになり、再度リオハは栄光を取り戻しました。
ところがここ数年今度は欧州経済危機の影響を受けて、模索の時代が又始まってい
るようにも思えます。しかし、ダイナミックな歴史を乗り越えてきたリオハはこの
激動の時代にもきっとすばらしいワインを出し続けてくれるでしょう。

リオハを中心に述べましたがナバラについて簡単に塗れます。ナバラはワインにつ
いては基本的リオハと同様の歴史を辿ります。優れた独創や工夫を仕掛けるワイナ
リーも輩出しています。しかし、実際にはリオハのフォロワ―としての地位を中々
抜け出せていないようです。
これは一つには地の利でリオハにやや劣るためと言われ、地中海の風の影響を受け
るために温暖過ぎると考えられています。もう一つは歴史で述べたように遅く迄独
立王国であり、内陸部である事が市場の変化をうまくキャッチできなかった原因に
なったようです。例えば上で述べたアイデンティティ喪失の時代、やはり実際には
魅力ある筈の土着品種を捨てて”国際品種”へ鞍替えするのですがこの”質より量”
方向は安値での叩き合いと言う宜しからぬ結果を産み、これからの脱却も全体とし
てはリオハに遅れを取ります。
ナバラがリオハを超えるとの期待の時代もありましたが、実際はまだアイデンティ
ティ確立に苦しみながら走っているのがナバラの実状のようです。
筆者が実際に訪れたナバラはパンプローナとその郊外の2軒のワイナリですが、そ
こには確かに盛んではあるがリオハに比べてややプレゼンスに苦しむワイン地域の
雰囲気もあるように思えました。しかし、長い間王国として構えてきた国の誇りが
ある故か、焦りのようなものは感じられず、悠然とナバラ王国再興を目指している
ように見えます。ワイン以外の観光を含め潜在力も感じられ、今後の展開が楽しみ
な地域でもあります。


2.1日目(日曜) : バスクの入り口ビルバオ到着



ビルバオ市庁舎前広場、川に面している


日本から久々に欧州へ。フランクフルトに1泊、旧友との再会を土曜日夜に楽しん
だ後、初めてビルバオの空港に降りたのは5月26日日曜日の夕方でした。
予約していたEuropcarのコーナーへ直行します。借りた車はAUDIのA4です。
ネットで予約したのはA3だった筈ですが受付女性は満面の笑みで『いやA4が空いて
いますから、費用は同じよ』と得したでしょ、との積もりかもしれません。しかし
筆者は一人旅なので小さい車がいいのです。大体どんな街も中心で賑やかな所は
駐車場も狭くて混んでますから小回りが利く小さいのがいいんだけど・・・こんな
日本的要望はとても理解してもらえそうにないし、時間も無いので『はいはいあり
がとう』と従って借用手続きを進めます。レンタカーは諸々入れて1日80ユーロ
程度でした。高いですがこの地でワイナリを巡るには他に交通手段はありません。

そもそもヨーロッパではマニュアル運転がまだ結構多いので、オートマティックを
選ぼうとすると途端に車種選択がかなり限定されます。免許はマニュアルですが
もう長い間オートマしか運転していないので知らない地を乗り回すにはリスクが大
き過ぎます。ところで一つ大きなメリットはこのAUDI Aシリーズは色々ありますが
操作性が統一されています。ドイツに滞在時に実はこのA4のバンタイプを運転して
いたのでとても慣れている訳です。
一方で今回誤算だったのが昨年イタリアを走った時も持参したナビTomTomの愛機
が何とスペインの地図をカバーしていなかった事です。Central Europe 24ヶ国
カバーとあったのでてっきり入っていると思い込んでアップデイトもしたのですが
出発直前にあれ?と入っていない事に気がつきました。スペインを入れずに中欧で
24ヶ国もあるものか?スペインは中欧ではないのか?などぶつぶつ言っても中欧
にはルクセンブルグだとかスロベニアだとか小さかったり馴染みが無い国も多くて
結構24にはなるようです。又、スペインは中欧ではなく南?いやイタリアも南で
すが入っているので西?TomTom分類に疑問があるものの、とにかく手持ちナビに
含まれないのは事実でナビTomTomもこのビルバオ空港で借りました。
さあ、立派なAUDI A4でいざ出発です。



今回借りて旅を伴にしたAUDI A4


さて車を出してナビにビルバオの街のホテルを登録、出発です。出発した途端にナ
ビからこういう音声案内がありました『貴方の地図は17カ月間更新されていませ
ん』。えーっ、17カ月ってちょっと長過ぎないか?どうしてとは思ったものの後
の祭。もう行くしかありません。自分のナビは最新版に更新してあったんだがな、
とボヤキも出ます。
でもとにかくホテルに着きました。しかし安い宿を選んだせいか、都心の賑やかな
所から少し外れた高台にあります。ここへ着く迄にやっぱり駐車ずらりで超狭い道
を走るハメに。だから少し小型が良かったんですが。

宿に着いて落ち着いたら夕食がてら散歩に出ました。ビルバオは1章で紹介した狭
いバスク(=バスク自治州)の3県の一つビスカイア県の県都ですが、実際には広
義のバスクであるバスク地方の中心都市で人口も最大です。
19世紀から20世紀にかけて重工業などで発展しましたが、20世紀後半にかけ
ての重工業衰退で代わりの産業が育たず苦戦します。
ユニークな美術館を建てて周りの観光都市に倣うような観光化の動きもありますが
海沿いの立地を活かしてまだ産業への復帰も狙っているのではないか。そのような
迷いも少し感じさせます。

これだけ大きくて観光でも売ろうとしているので案内書にも詳しく載っていますか
ら、一泊しただけの筆者もここのMy Mapは作りません(作れません)。
以下に街の印象だけを記します。

街の都心を半円形に囲むようにを流れるのはビルバオ川です。その上流に鉄道の駅
があります。駅は方面によりアバンド駅、サンタンデ―ル駅と分かれますが同じ区
域に固まってあり、この区域の川を渡ってすぐが旧市街になります。
日曜夜はこの旧市街迄出てきて北東スペインの街の雰囲気を嗅ぎました。

日曜夜とあっておそらく閉まっている店も多く、普段よりはずっと静かな雰囲気だ
ろうと思われますが、それなりに観光客の出足もあり、オープンしているレストラン
も良さそうです。



鉄道駅と川を挟んで広がる旧市街を望む




雰囲気に満ちた旧市街への入り口


さてしかし、そもそもスペイン料理はあまり知りません。会社勤務時代に行った
バルセロナではタパスと言ったつまみがこちらではピンチョスと言うらしいとか、
パエリャはここでもあるだろうか?程度で甚だ心もとない。で、こういう場合は
どうするかと言うとまあ現地の人らしき人種で賑わっている所を探すべし、です。
お、ありました、どうもこの店が怪しい、現地のおじさんおばさんらしき人がゆっ
くり楽しくワインを囲んで談笑の図です。そこでここへ入ることに。



地元の方らしきベテランさんが集う店に入ることに


さあ、メニュー研究です。この店は大きな字で公開してくれているのがありがたい
ですね。この店はピンチョスではなく前菜をきちんと出すようでHouse Speciality
と名打っています。種類も豊富でおいしそうだし、どんな料理がこの地で人気が
ありそうかわかって中々良いですね。名前からするとよく作られる家庭料理かも
しれません。



メニュー先頭が豊富なHouse Speciality


筆者はSmoked Iberian Pork Sausage Oven Cooked in Ciderと言うのを
頼んでみました。割合すぐ来て、ちょっとぴり辛のチョリソーソーセージを薄く
切って、確かにサイダー(シ―ドル)に浸してあります。おいしいと言うよりは
珍しさが先に来ます。まずくはありません、慣れるとやみつきかもしれません。



サラダ系からRice&Pasta dishesへと続くメニュー


メニューはサラダ系を数種類挙げた後、Rice&Pasta dishesとなります。
お米料理がパエリャもリゾットも揃っています。リゾットがイタリア風を取り込んだ
ものか、この地独特か?はわかりません。筆者かここでやはり店で一番長いと
思われる名前の料理、Fresh Pasta Pan Fried with Baby Sand Eels,Baby Squid
and Diced Tomato(写真が切れているのでもっと長いかも!)を頼みました。



Rice&Pasta dishesから最長の名前料理(本文参照)


Baby Sand Eelsとはウナギの小さいので日本では『のれそれ』などと呼ぶものです。
色々入って麺も味も中々良かったです。これでお腹一杯になってしまい、Fish,Meat,
Desertと来る後続メニューは諦めましたがきっとおいしいと思います。考えてみれば
ここはスペインですから麺よりごはん”パエリャ”の方が良かったかもしれません。
割合小ぶりのパエリャもあるようです。ご興味ある方はこれを参考にメニュー研究を
されてください。



Fish dishesへと続くメニュー



Meat dishes の後最後は自家製デザート


この店は旧市街に入って割合すぐにあるLa Deliciosaと言うレストランです。
残念ながらWEBが発見できませんが住所はJardines 1 bajo, 48005 Bilbao,Spain。
味もサービスも良いですし、屋外でも食べられて雰囲気も大変良い店でした。しか
し、とにかく行き当たりばったりで入りましたので他との比較などはできません。
この旧市街を中心にバスクの料理はじめレストランもひしめいていますから色々な
店があるのでしょう。帰りの旧市街の道には散歩のワンちゃんがゆったりとお休み
で長閑です。平日や土曜はどうなんだろうと思いつつ川沿いをホテルへ戻りました。



日曜だから? ワンちゃんものんびり



夜に入り光が映える市庁舎前広場




3.2日目(月曜) : ビルバオ発、パンプロ-ナへ


月曜朝が来ました。今日はビルバオの街の平日風景を少し見てから次の目的地パン
プロ-ナへ向かいます。一泊した安いホテルは都心の川向かい、低い山へとつながる
中腹にありますので、街を見る散歩のためには一度山を下りて川へ出ます。ここに
は都心と結ばれる橋がかかっており、特徴ある形の吊り橋があり、これがZubizuri
(ズビズリ)橋です。
ズビズリ橋は川向うの郊外住宅の住人が川に囲まれた商業地域へと渡るための生活
を支える橋で、車は通さず、自転車などのためのスロープ橋と歩行向けの階段橋が
両方平行して作られています。
月曜朝の忙しい時間帯、仕事に向かう人、学生さん、散歩の人など色々な人が思い
思い適切な橋を渡ります。



特徴あるズビズリ橋、川向こうに商業地が広がる



生活向けのズビズリ橋より。下流に向け左がグッゲンハイム美術館


ズビズリ橋の川岸を少し下流に歩くと有名なグッゲンハイム美術館に着きます。
残念ながら美術館の常で月曜はお休みです。筆者の場合、元々時間が無いので休館
はむしろすっぱり諦めがついて良かったです。川岸を歩いて外から鑑賞できる彫刻
やユニークな建築は楽しみました。



どの案内書にもある代表写真ですが・・・グッゲンハイム美術館



グッゲンハイム美術館のユニークな建物


街の商業地域も少し歩いてみました。当地随一の大都市だけに広がりが感じられま
す。しかしここは山に囲まれた盆地のようで、海からもちょっと入った所に作られ
ています。海が近いのに何故思い切ってもっと海に展開しないのか?山が迫ってい
るからかもしれませんが空港を海に接して作り、その間を新規開発するなど都市と
してもう少し違うデザインもあり得るのではないかと思います。
このあたりが昔からの伝統を活かす観光都市と新たな展開を目指す産業都市の間で
迷いがあるような気がする一因かもしれません。



ビルバオの商業地域にはアパート住宅もあり、広場も備わる



ビルバオの目抜き通りは並木もあってゆったりした感じ


さて10時過ぎでしょうか、パンプロ―ナのホテルを目的地としてビルバオを出発
です。ところがナビが案内してやって来た高速道路の入り口が何とものの見事に
金網も張られて『閉鎖中』。昨日ナビが動き始めた時に『17か月間アップデートし
ていません』との警告があってちょっとあれ?と思いましたがこの良からぬ予感が
的中です。
しかし、こういう事は会社勤務時代滞在したドイツでもよくありました。一つは初
出張で教えてもらった道をフランクフルト空港へ向かったら何とその高速への入り
口が事故で閉鎖中!この時はまだナビ装備が無く、道も教えてもらったもの以外は
知らず、うーん、どうしようと車を流しているうちにふと看板に飛行機マークを発
見。このマークに沿って行けば空港に着くだろうと考え見事に成功しました。今回
は空港のような公共建物を目指す訳ではないのでこの手は使えません。
他の手もありました。ナビを装備してでも知らない旅先でこの高速入り口閉鎖のパ
ターンに何度か会っていますが、その都度閉鎖入り口からはナビ無視で意図的に
結構遠ざかり、その上でもう一度ナビを設定すると別の入り口の方が近いのでこち
らを案内してくれて脱出と言う訳です。
そこでこの方式を採用、閉鎖入り口からナビをオフにしてできるだけあらぬ方へと
遠ざかり、そろそろと言う所でナビをオンするのですがこれを3回程繰り返しても
結局同じ閉鎖入り口に案内されてしまいます。どうもここは山に囲まれた都市なの
で高速入り口が一つなのか?いや、さすがにこれだけの都市で一つの入り口しか
無くてそれが閉鎖と言う事はあり得ないだろうと今度はガソリンスタンドに乗りつけ
てそこの係員に英語で事情を言って道を聞くのですがどうも英語は通じません。
それでも身振りも交え懸命に会話して何とか親切な係員が行けと言った道を進んだ
のですが結局やはり再度閉鎖中入り口へ・・・



ビルバオ川を渡る高速道路、入り口閉鎖でこれに中々乗れず苦戦


こうなるのも空港のEuropcarのナビの古いお陰だ、こうなったら時間がかかるが
行き先のパンプロ―ナとは逆の昨日の空港に戻りナビを取り替えてもらうかと行き
先を空港へ変更、確か15分程の筈。そして空港へ向かっているとふと気がついた
のです、空港からまっすぐパンプロ―ナへ向かえばいいではないかと。そうすると
途中でビルバオの街に寄りませんからあの忌まわしき閉鎖入り口の周りをうろうろ
する必要もありません。勿論もう一度空港へ寄り、文句をつけて取り替える方法も
ありますが大体は正しく案内しているし、今後はビルバオのような都市つまり工事
が繰り返されるような大都市は無さそうなので空港Uターンでそのままパンプロ―
ナへ向かう道を選びました。
これが成功、やっとパンプロ―ナへの高速に乗り、苦戦で既に昼の1時を過ぎてい
たので高速のPAでサンドイッチの昼食を取り、それでも高速は順調で3時前には
パンプロ―ナのホテルにチェックインできました。

これで高速入り口閉鎖対応手段として逆方向(がオープンであれば)へ入り、次の
出口でUターンと言う手法に気がつきましたが、ビルバオの街にはあの閉鎖入り口
以外の入り口がどこにあったかは未だに謎です。



4.2日目から3日目(火曜) : パンプロ-ナを拠点に


パンプロ-ナには月曜午後に到着、翌日はここを拠点にワイナリを訪ねました。
この街の案内自体は My Map を基に 案内レストラン紹介ショップ紹介 が別に
ありますので参考にご覧ください。
ここではそれらに書いていない訪問関係を記します。

泊ったホテルですが街の賑やかな通り沿いにありました。便利と言えば便利なので
すがやはり都心ど真ん中のいつもの事で駐車場問題と騒音問題は付き物です。



街の真ん中にあるパンプロ-ナの宿泊ホテル


先ず駐車場ですがホテルが賑やか道に面していて中々停められないので近くの空い
ている駐車スペースに停めてホテルの駐車場の場所を聞かねばなりません。今回は
それで仮に停めたスペースにすぐに元々の所有者がやってきて『どけどけ』、運も
良く無いようです。ホテル周りをぐるぐる回って漸く他の有力スペースを見つけ、
暫定駐車して駐車場の位置を教えてもらい鍵を受け取ります。駐車場はさすがにす
ぐ近くのビルの地下で、入る時に鍵を入り口横の壁の鍵穴に挿して回します。
するとガレージガラガラは良いのですが出る時にもこの鍵で今度は出口傍の壁の鍵
穴に鍵を挿して回してガラガラ、ちょっと面倒です。
実は最後の出発する日の朝ふと気がついたのですがチェックアウトを済ませ、出発
してガレージを出た後この鍵を返さねばなりません。せっかく出発したのに鍵を返
すための仮駐車場を探して又うろうろと言う訳でちょっと問題あるシステムです。
さすがに出発の時はホテル近辺事情にも通じてきたので仮駐車場はどこが良いか、
着いた時とは違ってわかっているので苦労はしなかったですが。

騒音問題は賑やかで便利な場所の代償かもしれませんが、とにかく夜遅くでも騒い
でいる人が居り、朝早くから交通量も多くうるさいなあとの感は免れません。
同じホテルでも面している道に依っては静かな場合もありますから、予約時の希望
欄に或いはチェックイン時にとにかく静かな部屋希望と、特に都心ホテルの場合は
言い続けるべきかもしれません。

さて、3日目の朝、最初のワイナリ訪問に出ました。パンプロ-ナはナバラの古都
、首都ですがここからA-15番号の高速を1時間程走った所にTafallaと言う
街があり更にもう少し先にOliteと言う小集落があります。最初のワイナリはここで
担当のF氏が待っていてくれました。



最初に訪問したOliteのワイナリ


最初にワイナリの案内を受けます。大きな発酵容器や樽での熟成場所などを丹念に
説明してくれます。そして応接室に戻るとここにはプレゼン設備が完備しており、
ビデオで概況を説明してくれます。輸出マネージャなのでいつもこういう紹介をや
っているようで馴れたものです。
それから試飲が始まります。スペインワインは大体が赤ですが、クリアンサ、リゼ
ルヴァ、グランリゼルヴァとランク分けされています。このランク差は結構微妙で
、特にリゼルヴァとグランリゼルヴァは同時に飲むと違いがわかりますが、単独で
飲むと中々違いがつかない場合も多いので価格差分だけの価値があるか判定が難し
い所です。クリアンサは若いワインなので大体わかります。これは価格が安くオフ
ァーされますので価格ではなくこのジャンルで一般受けするかどうかが問題で、判
定がやはり微妙です。

どうも最初の一杯での初期印象が大事で、何度も口に含んでいると段々と訳がわか
らなくなるケースが多いようです。一度ずつで判定して最後に確認したいクラスを
決めてもう一度確認を行うようにしました。
合計で1時間半程度でしょうか、丁寧に紹介してくれたF氏にお礼を言って、パン
プロ―ナへ戻りました。
昼食を済ませた後は初のスペインワイナリ訪問のメモを整理して、後は街巡りです。

筆者の場合、パンプロ-ナは街を巡ってMy Mapを完成させる目的があり、又ワイン
の選定を行う目的もありましたからワイナリ以外はパンプロ―ナに専念しました。
しかし、勿論これはレンタカーを借りたにしては大変勿体無い使い方です。実はも
し許されるなら是非行ってみたい所がありました。それはフランシスコザビエル城
です。そう、この名前は日本であまりにも有名ですが彼はこのナバラの出身です。
彼は日本にキリスト教を伝えましたが丁度日本の激動期、宗教のみならず西洋文化
の伝達、そして逆に西洋人の日本発見として大変興味深い人物でもあり、足跡でも
あります。パンプロ―ナから僅か1時間半、そう、ワイナリと90度違う高速を行
けば着いたのですが・・・・時間重視で諦めました、車で旅行される方は是非ここ
の訪問もお薦めします。住所はPlaza San Francisco Javier,31411 Javier,Spain

しかし、実際は筆者も知らぬ間にこのすぐ傍迄来ていたのです。
それについては次章をお読みください。



5.4日目(水曜) : パンプロ-ナ発、一時迷走、ログロ-二ョへ


4日目はナバラの2軒目のワイナリ訪問です。2泊したパンプロ-ナのホテルを
チェックアウトして昨日と同じ道を運転します。そう、今日のワイナリは昨日も来
たTafallaの街迄は同じでその先をOliteでなくSun Martinと言う街へと向かいます。
しかしここに問題があってCarretera Sanguesa s/nと住所にあるのですがこれが
ナビで出ません。San Martinと言う街はあるのですがその中のSanguesa通りと言う
のが見つからないのです。そもそもs/nはどういう意味かはっきりしません。
でもまあSan Martin迄行けば何とかなるだろうとタカをくくっていざSan Martinの
街へ入ったのですがこれは小さな街でどこにもBodega(ワイナリ)などありません。
下りて通りがかりの人にワイナリ名を示しどこにあるのか?と聞いても、そもそも
英語が通じず。PCで出たHP画面でここのワイナリだと言うと一人はこの先にある
のじゃないかとの事。で、少し走ってみてもそれらしきワイナリはありません。

結局このCarretera Sanguesa s/nですがSanguesaと言う街自体はここから更に車
を走らせるとあるようです。s/nがわからないが、San Martin経由でこのSanguesa
と言う街との意味かな?とまだ時間があるので20分程走ってSanguesaに着き、訪
ねますがやはり英語は通じず、ワイナリ画面を見せても『さあ知らないなあ』との反
応。時間に余裕があったのですがSan MartinからSanguesa迄行っている間に約束
の時間が迫ってきました。止むを得ず高い国際ケータイ電話をかけます。
そうなんです、準備不足と言うか、古い電話のままと言うか、手持ちのケータイは
国際電話は可能ですがかなり高い料金を取られるので一般には使わないことにして
いました。じゃあ不便か?いや、普通はホテルでPCを使ったSkype或いは半Skypeで
連絡が取れますから差し支えありません。こういうように迷ってWiFi環境も無い場
合はもうケータイしかありません。
ワイナリの担当者と話すとやはりSan Martinの近くであり、Sanguesaは行き過ぎだ
との事です。うーんおかしいなあと思いつつ又San Martin迄戻りますと少し手前で
ありました!目指すワイナリが。



道の片方向からしか見えず発見に苦労した2軒目のワイナリ


わかってみるとこういう事です。San Martinの街から少々走った所にワイナリはあった
のです。しかし、筆者が行き来した範囲よりはもう少しSanguesa寄りでした。
でもじゃあ何故Sanguesa迄走らせた途中でわからなかったか?それはこの
ワイナリの建物、看板がSanguesaからSan Martin方向へ走る時にはドライバから
見えるが、逆方向に走っている場合は見えない(後を振り向けば見えたのですが、
ドライバ一人なので・・・)と言う訳です。San Martin拠点でもう少し広い範囲を
行き来すると発見できた筈でした。

ところで反省して後で色々調べた所、s/nはスペインではsin numeroの略で番号無し
との意味だそうです。まあ番号を付ける迄もない、そのあたりにポツンと立ってい
る建物と言うことらしいですが、一方向からしかそのポツンと立っているのが見え
ないとこういう困ったことになります。更にまだはっきりしないのはCarretera Sanguesa
です。多分Sanguesa方向に走った道にポツンと立っている建物の意味ではないかと
推測しているのですが、確証はありません。
こういう表現ってGoogle地図やナビではフォローしてくれないので推測を重ねる
しかないですね。

そしてかなり先のSanguesa迄走ってしまったのですが、後で見るとここは
フランシスコザビエル城のほんの手前でした。潜在的に行ってみたいと思っていた
ので呼び寄せられてしまったか?やはり寄れば良かったとの後悔の念があります。

さて迷走が終わり、ナバラ2軒目のワイナリ訪問になりました。今回は輸出マネジャ
E氏ともう一人ワイン造り屋さんB氏、いわばワイン造り専門の技術者さんが同席
してくれました。B氏は英語を話せないのでE氏が通訳です。
ワイナリの見学、そして説明試飲と言うプロセスは大体昨日の1軒目と同様です。
違うのはやや詳しいB氏の説明が付く事です。又E氏もB氏もロゼワインを強く薦め
てきました。ガルナッチャの古木から造った珍しいものとの説明です。確かに調査
ではナバラの特徴の一つがロゼワインとありました。しかし、ロゼは夏は良いが冬
あまり飲まれないのではないかと思い、ちょっと乗り気にはなれません。

赤だけで言えば昨日のワイナリとそう違いは無い気がします。
迷走で少し遅れたのを詫び、丁寧な試飲対応に感謝してSan Martinを後にしま
した。

ログロ―二ョへは順調です。約2時間、2時頃にはホテル前に到着です。



San Martinからログロ-二ョへ向かう道の景色




6.4日目から5日目(木曜) : ログロ-二ョを拠点に


ログロ―二ョのホテルも都心ですから要領は同じです。先ず仮駐車の場所探しです。
ホテルの前に駐車スペースはありますがやはり満車、ぐるっと回って公園を挟んだ
向かいの道路に停められそうです。停めて外へ出ると女性警官がやって来ました。
何か言ってきますがスペイン語です!困ったなと思っていたら通りがかりのアジア
系女性が『お手伝いしましょうか?』と英語で入ってくれました。赤ちゃんを連れ
た若いお母さんですがとても日本的顔立ちでしたので思わず日本語で『日本の方で
すか?』と聞いてしまいましたが、これにはにっこり『NO』でした。
そう言えばビルバオには日本人居住者も或る程度いると聞きますが、パンプロ-ナ
では日本人やアジア系を見かけませんでした。ログロ-ニョ含めアジア系の住人は
そう多くないようです。
警官はこの駐車スペースは時間制なので券売機で予定時間の切符を買って車外から
見える所に表示しておくようにとの指示です。このタイプの駐車はヨーロッパでは
よくある通常タイプですがやはり混んだ場所なので見回りが厳しいのでしょう。

カバンを持って公園を横切りホテルにチェックインしてから駐車場を聞いたら地下
にあるとの事。そこで急いでランチを近くのカフェで済ませて車を駐車場に持って
来ましたが、何とやはり非常に狭い駐車場です。AUDI A4でも油断するとすぐ
こすってしまいそうな狭さ!何とか車を収めました。



ログロ-二ョのホテル


ここのホテルは環境については文句はありません。階が上の方で、向かいの教会の
屋根が正面に来る眺めで前の道も交通は限られ、上方故騒音もありません。



ホテルの窓の前は教会の屋根



ここもMy Mapを作るつもりなので早速街に出て取材です。こうして得た街の
情報についてはやはり 案内レストラン紹介ショップ紹介 が別にありますの
で参考にご覧ください。

ログロ-二ョはリオハの州都です。ここからリオハのワイナリを木曜日、金曜日と
1日1軒つまり計2軒を巡る予定でした。そこで木曜日の夜は木曜日の午後に
訪問するワイナリが併営するホテルに泊まろうかとの予定でした。
しかし、直前になってもう1軒から連絡が来て是非寄ってくれと言うことになり、
木曜日に2軒のワイナリを回ることになりました。それで結局木曜日の夜もログ
ロ-二ョに連泊としました。そうでないとMy Mapを埋めるだけの情報が取れません。
それでも時間不足気味なので急いでInformationを訪れて色々調査を開始した
のですが、ここで新発見をします。何枚かあるパンフレットを見ているとこういう
のがありました。『ワインの首都Haro』です。リオハの州都はログロ-二ョです
が、実際のリオハワイン造りの首都はHaro(ア-ロ)であると言う訳です。
Haroについてはワイン関係の本に少し出ていたので覚えはありましたが、ここ
迄主張する街なのだろうか?と疑問に思い、再度Haroについて調べました。
するとやはりこのHaroの街はリオハ全盛の19世紀後半に突出して栄えた歴史
を持つ特別の街と言うのが見えてきたのです。これは行かねば!

最後に訪ねる金曜日午前のワイナリの後、ビルバオに戻って1泊しようかと考えて
ビルバオのホテルを予約してあったのですが急遽これをキャンセルしてHaroのホテル
を予約しました。短時間ですが何とかこの特別な街、ワインの首都を取材してMy
Mapを作りたいものです。

さて5日目木曜日は大忙しの日です。この日はやや離れた2軒のワイナリを回り、
かつログロ-二ョ取材もやりきらねばなりません。

最初のワイナリは次に向かおうとするア―ロの近くでリオ・ティロンと言う街です。
この街自体は良いのですが、又Paraje Senda Rutia, s/nとs/n付きの住所です。
水曜日はs/nの前が隣(と言ってもかなり離れているが)の街の名前が冠されて
いたので隣町まで行ってしまいましたが今度はこのs/nの前が意味不明です。
辞書によれば人里離れた地と言う意味らしいのですが・・・しかし、Senda Ruita通り
(Calle)と言うのはあるのでその付近だろうと出かけることにしました。

高速の入り口に着くとバーが上がっています。通常は券を取るとバーが上がって通
すものですが、とにかく券は無いしバーは上がっているのでそのまま入って高速を
走りました。さて出口に来ると係員が『券は?』いやバーが上がりっ放しだったよ
と言うと『そりゃまずい、どこの入り口だ?』『ログロ-二ョだよ』と言うと奥へ引っ込み
連絡電話だかに専念してしまいました。こちらは置いてきぼり、おーいどうなって
るんだ、と呟くものの諦めて待つと暫くして戻ってきてやっと通してくれましたが
謝るでもなく平然、ちょっとサービス業と思えませんねえ。

リオ・ティロンの街に入ってからは先ず人間を探す必要があります。どこかの家で
工事をしていたので停めて工事の人間にこのワイナリは?と聞くと英語は駄目な
ようですがとにかく身振り手振りであっちの方だとか示してくれました。うろうろし
ていたら看板があってワイナリはこちらとあります。これに従って無事到着しまし
たが、未だにs/nの前のParaje意味はよくわかりません。この住所問題はより深い
リサーチが必要そうです。



リオハ最初の訪問ワイナリと周りの葡萄畑


出てきて応対してくれたのはM嬢とD氏です。M嬢は英語を話し、よって海外対応
と庶務を担当しているようです。D氏はワイン造りの専門家です。白衣に身を包み
まるで化学者のようですが、実際案内してくれた地下にはきちんとした実験室があ
り、化学実験さながらでした。D氏もいかにもワイン化学専門の先生と言う感じの
話ぶり、人柄で熱心に説明してくれました。その中にはなるほどと思える工夫が随
所に凝らされていて、伊達の化学先生ではなく本物かなと言う感じです。

ここが他のワイナリと違った点はこういうケミカルアプローチへの熱心さと樽の材
木へのこだわりです。同じオーク材でもフレンチが第一、アメリカとハンガリーは
各々の良さがあるとか、最近では地元リオハのオークでも試作しているなど、これ
も違いデータがしっかりまとめられていました。
試飲はこれまでと同様のやり方ですが、ここのワインは基本的に気品に溢れている
感じがします。そう、大きな特徴がGraciano(グラシア-ノ)と言う葡萄をうまく
ブレンドしている点です。このグラシア-ノスペイン語ではグラシアが気品の意味
なので気品溢れると言う意味だそうです。しかし一方栽培が難しく収穫量が少ない
品種なので自家農園でしっかりした商品戦略を持って育てないといけない品種であ
り、それがうまく使えている所にこのワイナリの明瞭なコンセプトが感じられます。

かなりの好印象で訪問を終えてM嬢とD氏にお礼を言いワイナリを後にしました。

さてゆっくりはできません。午後のワイナリはログロ-ニョから近い場所ですが方
向としては90度違うのでやや斜めに道を撮ることになります。このあたりの高速
はPAもまばらなのでGSに停めてそこの売店で売っているサンドイッチと水、そ
れにコーヒーを奮発したランチで済ませます。昼時なので同じようなランチ休みを
取っている連中がちらほら。ふと見渡せばリオハの田園風景で悪くありません。



高速GSでのランチでも周りは良い田園風景


5日目木曜日午後のワイナリもやはり住所問題にぶつかります。街自体はAlbelda
de Ireguaですが問題無くあります。問題は又住所の先頭にある下記の表示です。
Carretera de Nalda, Km 9。おや?これはどこかで見たような。そうです、昨日
うろうろ迷走した時に隣町Sanguesa方向への道と言う意味でこれが使われていました。
そうすると類推するにNaldaと言う隣町があって、そちら方向への道を9Km走ったあたり
にある筈です。地図を見ると確かにありました、隣町がNaldaです。
ここに来てドイツの通りの規則を思い出しました。これは フランクフルト滞在記
書いたのですがA町とB町を結ぶ道路は半分からA町寄りはB通り、半分からB町寄り
はA通りとなったのです。この規則に従う通りをスペイン語ではCarreteraと称する
のではなかろうか?と。
”仮説:Carretera XはX町へ向かう通りに自動的に付けられる呼称である。”
真偽不明ですがとにかくこうして住所問題と格闘しつつ、リオハ2番目のワイナリ
に到着しました。



ログロ-ニョ近く、リオハ2番目に訪問のワイナリはホテル併設


さて先に書きましたようにこのワイナリはホテルも併設しています。ここへの宿泊
も考えたのですがログロ-ニョ取材時間が短すぎるので止めました。しかし、この
理由だけではなく、どうもこのホテルは通常のホテルではなくツアーで集団がこの
ワイナリを見学した場合にオープンするホテルのようなのです。勿論単独で宿泊が
できない訳ではありませんが、そういうサービス対応にはなっていない、それに気
がついたのもホテルをキャンセルした理由です。

対応して頂いたのは女性担当者のAさん、しかし彼女は英語を話しはしますが苦手
なのか若いF嬢が付いて色々英語説明をしてくれます。一通りの見学を終えて試飲
を始める時にもう一人の女性Nさんが登場、彼女がワイン技術系らしく各々のワイ
ンの特徴などをF嬢を通じて説明してくれました。
こういう丁寧な対応を取ってくれるのは実は訪問アポを取る時にメールでやりとり
したマネジャM氏が全部指示をしてくれているからです。M氏は事前のやりとりで
は最も熱心にワインの売り込みを行ってくれました。事前に資料を送ってくれる等
配慮を欠かしませんでした。
しかし、この週丁度彼はウイーンへ出張になりました。お互いに是非会いたいねと
言うことで私も調整は試みたのですがどうしてもアレンジできず彼が指示してくれ
た今回のAさん、Nさん、F嬢の登場となりました。

全体にとても熱心で、高級ワインにはやはりグラシア-ノをブレンドしています。
又このワイナリはホテル併設からも伺えるように顧客もてなしを大事にしています。
このワイナリを主宰するのは業界で知名度が高いA氏と言うこともあって、日本で
の顧客惹き付けネタもあり、選択の有力候補です。おそらく午前に回ったワイナリ
と最終選択を競うことになりそうだとの予感を持ちつつワイナリ訪問を終えました。
礼を述べて外に出るとこのワイナリからの風景も中々のものです。
この日はログロ-ニョに戻って街の取材に注力しました。



リオハ2番目に訪問のワイナリからの風景




7.6日目(金曜):ログロ-二ョから”ワインの首都”ア-ロへ


午前中にリオハ3番目、最後のワイナリを訪問してから”ワインの首都”ア-ロへ
向かう予定で出発しましたが、又住所トラブルです。
今回の場合、ワイナリの住所はGoogle Mapでは出てくるのですが、ナビでそのまま
入力できません。地図を見て最も近い、ナビで示される場所を行き先にして出発し
ました。そこには到着したのですが、その先がどうもGoogle Mapで見たような道路順
になっておらず又うろうろと運転しながら探すハメに。
場所としてはログロ―二ョ市内と言える場所なので甘く見たのですが、ナビがうま
く入らない場合はナビ入力を先方に聞くべきでした。遂にケータイで聞くことにな
り連絡すると『ナビでは住所が入りません、こう入力してください』とすぐ返答。
うーん、ここまでわかっているなら何度かメールやりとりしている間に書いてくれ
れば・・・とぶつぶつモードですが指示通りに走り直してやや遅れて到着しました。

このワイナリも見学、試飲と通常のコースで案内して頂き、対応して頂いたのは中
国人女性のJさんです。上海の出身との事で数年前からスペインに来てここで頑張
っているそうです。
このワイナリに特徴的なのは市内故に観光客団体をツアーで受け入れている事で、
それに向けた設備やプログラムが整っています。今アジアから団体で来るのが最も
多いのは中国からでしょう。日本の団体もパンプロ-ナで一度見かけましたが、や
はり減っています。こういう事情からもJさんが活躍できる場所のようです。

建物が今迄回った4軒とは違い新規に建てた現代建築で、この中にミュージアム型
で歴史が閲覧できると共にこのワイナリが協働なのかスポンサーなのか一緒にやっ
てきた美術家の作品を展示しています。ツアーではワインも試飲できて、気に入れ
ばその場で買って帰るスタイルにしています。
ここ迄揃っていると筆者が輸入するよりは旅に出かけた皆さんが寄って楽しみ、お
土産を買って帰る場所として紹介した方が良さそうです。

それで一通りの紹介を受けた後、お礼を述べてア-ロへ向かおうとしたのですが
Jさんから『試飲の他に少しつまむものもあるから』と引き止められました。
ア-ロでの時間が短くなる!とは思いましたが、折角の好意を無にして帰ってしま
うと彼女に悪いし、どうもアジアのお客対応で動いている立場がまずくなるような
気もしたので時間は我慢してお付き合いすることにしました。
ここで出してくれたイベリコハムはとてもおいしかったです、きっとかなり上等の
物なんでしょう。パンも少々付いており、よし、今日はこれでランチ代わりにして
時間節約しようと決めました。少しは時間節約になります。

ア-ロへは昼過ぎに着きましたが、運転しながら考えたのはやはり全部で5軒を回
ったけれどもやはりリオハ1軒目、木曜午前のリオ・ティロンのワイナリが最有力
です。このまま戻ると後の仕入れプロセスるためにここのワインを再度送ってもら
うなどしなくてはなりません。幸いカバンには少し余裕がありますので、こういう
状況になったからには有力候補のワインを持ち帰ろうと決心し電話を入れました。
幸いにもM嬢が居て『わかりました、すぐに手配する』と応えてtくれました。但し
彼女はこれkら出かけてしまうのでD氏に頼んでおくとの事です。ア-ロのホテル
にチェックインした後もう一度車を飛ばしてリオ・ティロンへ。ア-ロからは近い
ので20分程度で着きます。朴訥で真面目なD氏が4本のサンプルをしっかり梱包
して待っていてくれました。受け取って礼を述べ、これで今回のワイナリ訪問に幕
を下ろしました。

後は短いながらア-ロの街の探索取材です。ア-ロのMy Mapを基に 案内
レストラン紹介ショップ紹介 が別にありますので参考にご覧ください。

さてこのように一日で運転含め色々動き過ぎたせいでしょうか、何と取材の最後の
方ではるのですがカメラを道に落としてしまいました。道が石造りで固い事もあり、
ズーム系メカがいかれたようでそれに伴い動作しなくなりました。
内臓SDカードは抜けばOKそうですが写真を取ることができなくなってしまいま
した。殆ど取材が終わっていたのは幸いですが、それでも撮り残した風景や場所が
何か所かあり、残念です。ひもを手にまきつけるなど配慮をしていたのですが一瞬
の油断でした、大変残念でホテルでがっくりきてました。


8.7日目(土曜) : ア-ロからビルバオ空港へ、ふり返って


広義バスク訪問の最終日、フランクフルトへ戻るフライトは午後2時頃です。
しかし、余裕を持って動くのが大事と10時にはア-ロを出発しました。
空港迄の予測は1時間、土曜午前で道がすいていることもあり、スムーズにビルバ
ォ空港へと戻れました。さあ、返却ですがその前にナビの件の文句を言わねば。
いました、この前の日曜日夕方に対応してくれたお嬢さんが。近寄って『ナビが
17か月間更新無しになっていた。お陰でビルバオから高速に乗る入り口閉鎖の情
報が入ってなかったので苦労したよ』と言うと『あら、あの入口が閉鎖されたのは
ほんの数週間前よ』と来たので、ううむ知っていたのか・・・
まあ、色々チェックされたが他にDefect無しでOKとなり空港で簡単なラン
チを取りながらゆっくりしてフライトへ。
初めての街の取材と毎日のワイナリ訪問でかなり厳しい旅程になってしまったが、
会社勤務時代からぎりぎり海外出張で動いていた筆者にはこの位のペースの方が合
っているようです。

さて以下は今回の旅全体をふり返ってみての雑記です。

◎スペイン時間 旅行中、いつも困ったのは店のオープン時間、食事時間でした。筆者の会社勤務時
代バルセロナへ出張に行く飛行機が遅れた時の事を思い出しました。ロンドンから
のフライトが遅れて着いたのが夜の11時過ぎ、街に出るともう0時を回ります。
もう開いているレストランも無かろうと諦めていたのですが迎えに来た現地営業は
『全く問題無い』。いや本当に0時過ぎにレストランに入った時のその活況には驚
かされました。
逆に仕事が終わって9時頃にレストランに行った時にはがらがらです。何でこんな
人気の無いレストランに・・・と思いましたが、10時をかなり回ってふと気がつ
くといつの間にか人が一杯になっていて盛り上がっています。

通常の店が2時から5時頃迄閉まり、レストランが本当に始まるのは10時頃であ
ると言う『スペイン時間』は理屈はわkっていても合わせるのが中々辛いと言う実
感を今回は持ちました。
それを避ける方法の一つはバ―レストランとかカフェバーをうまく利用する事で、
実際そういう店は夕方早くからやっていて、勿論お酒を飲んで楽しむ事ができます
が、時間が合わない外国人にとってはそこでうまく食事を取るのが時間合わせ上も
経済的にも大変良い方法であると実感しました。


















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