Essence of Europe
Frankfurt滞在記



筆者は勤務していた会社の駐在員としてドイツの主要都市の一つFrankfurtに滞在
しましたのでその実際滞在体験や関連事項を綴ってみました。
その中の幾分かはFrankfurt或いはドイツに旅行したり滞在される皆さんの参考に
なれば嬉しいと思っています。勿論ドイツの生活や文化に興味のある方への有用な
情報である事も願っています。
各セクションは個別のテーマとして読めるように書いたつもりですが、通しで滞在
記という随筆として通して楽しんでも頂けるようにも構成したつもりです。
通しで或いは下記目次の中の興味あるトピックスを選んでお楽しみください。

目次
§1 ドイツ着、生活スタート
§2 散歩と出会い
§3 小さな街のアパートで
§4 Frankfurt北東部
§5 ドイツの一軒家
§6 ドイツの暮らし文化 ― 住衣食の住 ―
§7 ドイツの暮らし文化 ― 住衣食の衣 ―
§8 ドイツの暮らし文化 ― 住衣食の食 ―
§9 フランクフルトの冬 ― クリスマス、新年、カーニバル―
§10 ドイツの交通 − 車と電車 ー



§1 ドイツ着、生活スタート

私が約一カ月半で発行されたドイツ在住ビザを持ってフランクフルト(アム・マイン)
国際空港に降り立ったのは2009年7月15日の夕刻です。タクシーでフランクフルト
近郊の街Langenにある会社に寄り、ここでCompany Car(カンパニーカー)を借り
ました。会社が一括で借り上げた車を必要な社員に貸し出すのがこのカンパニーカ
ー制度で、営業関係者などに貸与されます。ドイツでは一般的な制度なのですがあ
くまで通常運転は本人が行います。首相などは別で専門運転手が付くのでしょうが
一般に車好きのドイツでは社長も含め全員が自分で運転をするし、それを楽しんで
いるのです。
当然私も借り受けた車を自ら運転して仮住まいのアパートへと向かいました。実は
日本では一昔前に買い物とか偶の旅行に時々運転していただけで最近数年はそれも
面倒になって運転していなかったので、交通量は少ない田舎道なのですがひやひや
しながら”右側通行、右側通行”と唱えつつ走りました。

仮住まいのアパートは古い街の中心にあります。ドイツの街は大体が数十から数百
の家が固まり、街の中心はMarkt(マルクト=Market)と呼ばれる商店街と広場、他に
公共建物とか駅があればそこにつながっている感じです。Marktは実際週に1,2回
市がたつ広場になっていることが多く、大きな自動車でやって来た八百屋、パン屋、
肉屋、チーズ屋などが軒ならぬ車を並べます。日本で最近郊外や地方の商店街が人
口減でシャッター通りになっていると聞きますが、元々人口密度がそう高くないド
イツでは必要な時間に利用しやすい場所へ関係者全員が集まって売買を行う『市=
いち』の原初形態が守られている訳です。しかし一方では自動車王国ドイツですか
ら車に乗って郊外の大ショッピングセンターに行く生活スタイルもあります。車に
乗って人が動くか(大型SC)、車に乗ってモノが動くか(Markt)の違いで、いずれに
しても個人の多様性を認め、それをお互い尊重して暮し易くする文化を感じます。

日本の場合車に乗って人が動く大型SCは多いですが、一方の車に乗ってモノが動
くMARKT(マルクト=いち)スタイルが少ないのが問題に思えます。高齢化で人が
出かけるのが大変になっている地区では市(いち=マーケット)を復活してはどう
でしょう?便利な上に近所交流も図れる”市(いち”が根付いているからこそ地方
が活力を失わない分散型でもドイツが元気にやれるのだと実感します。

さて話は仮住まいの街に戻ります。街の中心ですから市だけでなく毎日やっている
パン屋さんやクリーニング、ちょっとしたレストランや飲み屋があります。このあ
たりは日本と同じでしょうが、ドイツの街らしい雰囲気を醸し出すのがCafeです。
Cafeは喫茶店でありお喋りの場です。特に日本と異なるのは屋外好きと体の大きい
ドイツおじさんが沢山居ることです。屋外好きと言うのはやはりドイツは冬が寒く
暗いので4月頃からどんどん明るく長くなる日射しと戸外雰囲気への憧れと、
やはり街の通りがゆったりとしているので屋外に場所を構えやすいからでしょう。

一方でCafeおじさんは?これはやはり型にはめ込まずに個性と多様性重視文化
故でしょうか?Cafeのアイスは大きく甘そうですが、これを満足気に食べながら
しゃべるおじさんも居れば飲み屋でビールだ!と言う人も居る訳で、甘いものは女性
の特権のような決めつけがありません。日本では大の男がCafeで甘いものなんて、
と言う風潮があるように思いますが、日本のおじさんも時には甘いアイスが食べたい
んですよ!そう言えば出張で新幹線に乗った仕事帰り、時々アイスを売りに来ます。
これが結構出張帰りのおじさんに受けていて売れているように思います(あくまで
目視チェック結果ですが)。

日本とはちょっと違うドイツ

さて到着初日はこういうドイツらしい雰囲気の街のアパートに入れたのを喜びつつ、
でもやはりアイスでなくビールとドイツ料理で先住の会社諸輩と乾杯と言うことに。
ドイツ生活がスタートしました。

ここで暮らし始めた最初の驚きを幾つか挙げておきます。ドイツも日本も少なくと
も都市部では生活のルールやしきたり、環境はそう変わらないのが基本事実です。
しかし、思わぬ所で違いを見せつけられたり、日本流が通じずに苦労と言うのもあ
る訳です。

その第一はお店の日曜日閉店です。これは聞いてはいました。しかし、近くにある
スーパーが(REALと言うのですが)あまりに大型の店なので”一般には店は閉じる
がここ迄の規模の店は関係無いだろう”とたかをくくっていたのが間違いでした。
最初の日曜日にその大型ショップへ乗りつけるとものの見事にシャッターが閉まり、
大駐車場の広大なスペースはがらがらです。えっ、やっぱりこんな大型店でも閉ま
るんだ!とショックでした。
経済効果(損失)はいかばかりや?と思ったのですが段々わかってきたのは結局日
曜に閉まるなら客はその分を土曜に買い溜めしておくだけと言うことです。土曜は
朝から山のように混んで皆さん買い込みますから経済効果はそう違わない?

聞く所によると法律で日曜営業は禁止されているとの事。だったら全く店はやって
いないのかと言うと街中の所謂観光地区ではやってますし、レストランだと例えば
ピザやケバブ(トルコの肉料理)も開いています。これは推測ですが、原則は日曜
禁止だが然るべき需要や必要性が認められた場合に認可されるのではないかと思い
ます。観光地区はやはり観光客が困るから、外国料理もそれを必要としている人が
いるのに困るからと言う理屈がついているのではと思います。日本料理レストラン
でも何軒かは開いています。しかし甘く見てはいけません、日曜日は原則として店
は閉まるのだと頭に叩き込んでおくのが基本です。

ところでどうしても日曜に必要な買い物ができた時に駆け込む所も覚えておかれる
と良いでしょう。それは鉄道中央駅(Hauptbahnhof)或いは空港(Flughafen)です。
どちらもその性格上店は閉じません、いやどちらかと言うと寧ろ日曜こそ繁盛の面
もあります。日用品、食料品、レストランのどれも大体日中は開いています。安売
りが無いと言うのは仕方無いでしょう。

第二の驚きは虫への対応です。最初に近所のスーパーへ行った時に店の食品ケース
の中に蠅か虻がその中に入っており、ぶんぶん飛び回っています。最初は店のおば
さんが失敗して虫を入れてしまった、でも中々出ないから閉口しているんだな、し
かし割合平然としているが意地でも強気で通すつもりかな?と思いましたがそのう
ち何か変だなと思い始めました。虫が入って困ると言う感じは無くそれこそ虫をム
シしているようなのです。まさかと思いましたが確かに追い出す動作は全く無く、
虫がケースから出そうになっても追い立てるでもなくのんびりしています。
目を疑いましたが他の店でもこの点は同じで食品ケースの中を自由に虫が飛び回っ
ています。清潔で秩序(Ordnung)好きのドイツ人がどうしてこう虫に甘いのか?
これは今でもよくわからない疑問です。

合理的な実際屋の面も強いのでこの虫放置による疫病発生確率被害と虫よけ設置の
費用を計算した上でのこの態度なのでしょうか?そう言えば素直にこの疑問をドイ
ツ人にぶつければ良かったかもしれませんがどうも何だか聞きそびれました。
皆さん、もしこの虫入り経験されても驚かないようにして下さい。結局この虫でひ
どい目に遭った話は聞きませんから大丈夫なのでしょう。

第三の驚きは周りを気遣わない徹底ぶりです。具体例で言うと買い物をする時、自
分の番が回って来るとそれに集中します。例えば何人かの列ができて混みあってい
る場合、商品AとBを比べるとしても待っている多くの人に悪いから要点だけさっ
さと聞いてこっちをくださいな、と決める日本人が多いと思います。しかし、ドイ
ツでは多くの人が周りの状況には関係無くAとBどちらが自分に合うかを店員と徹
底議論を始めてしまいます。

一番凄かったのは家具屋さんのケースです。最初に家具を買いに行った時、私がド
イツ語を喋れずその店員は英語が苦手なようで『あの店員なら喋れるから』と指定
されました。その店員は現在接客中、中学生くらいの男の子を連れたおばさんです。
少し待てば終わるだろうと近くで待っていても中々話が終わらず、連れの中学生も
私同様長い商談に嫌気がさしているのがありあり。しかし、息子や私の”早くして
くれ”圧力なんて何のその、気がついていない筈は無いのですが延々次々と商品を
見たり、説明させたり、要求したり...さすがに30分以上経つとその店員も次
を待つ私に気付いていますからちょっと寄ってきて『少しかかりそうです、もう
30分位でしょうか』と囁きました。
じゃあと言うので一旦その場を離れてコーヒーを飲み、他の商品も見回ったりして
余裕を取って1時間以上後に戻ると何とまだその店員は同じおばさんにいるではあ
りませんか!もう中学生の息子も愛想をつかしてどこかへ行ってしまいました。
私も店員に”じゃあ又明日にでも”とサヨナラしました。

これは極端な例だとしても喧々諤々と店員と徹底議論する客は少なくありません。
そして皆さんそれに対しては大変我慢強くじっと待ちます。それは自分の番が来た
ら存分にやるための我慢のようです。これが個人主義と言うことなんだろうか?と
思いつつ、郷に入っては郷に従えで私も結構周りを気にせずしっかり買い物交渉を
するようになりました。しかしこれは日本では要注意、顰蹙を買いそうです。

ところで家具屋さんの件には後日談があります。翌日もう一度店に行くとその英語
店員を発見しましたが又々お客に捕まっていました。私を見つけると飛んで来て
『昨日はすまなかった、この客は10分で終わるから』。いや昨日もこういう話だ
ったけどねえ、と半信半疑で待つとさすがに今回は15分程で遂に待望の順番が回
ってきました。そこで私も昨日のおばさんに負けず色々要求、質問を繰り出したの
ですが決まってみると僅か30分、やっぱりどうしたらあそこまで時間がかかるの
か謎です。そして注文をしてから『いつできますか?』と聞くと『3ヶ月後です』。
えっ!と驚くも時既に遅し、『しっかり、みっちり作りますから』と言われて顔は
笑いつつ心では”あー、当面テーブル無し生活だあ”とショック。周りを気にせぬ
徹底ぶりはお客さんだけじゃ無かったんですね。

この話を滞在先輩にしたら『そりゃ店で買うとそうなりますよ、持ち帰りコーナー
だとOKだけど選択肢が少ないからIKEAに行けば?』とのアドバイス。
結局他の家具は殆どをIKEAで揃えることになりました。
しかし、3ヶ月後に届いたテーブルはそれは立派な出来前で、一生ものと思われる
(思いたい)ので日本に帰国時これだけは大事に運びました。

以上、同じように見えてやはり根深い所での文化の相違を感じた出来事でした。



§2 散歩と出会い

仮アパートは街の中心ですが、街と言っても小さいので中心のすぐ外は住宅地、
そして住宅地も数街区行くと原っぱや森になります。こういう原っぱや森を通って
隣の街迄はわかってみると意外と大した距離は無いのですが、最初は随分無人
の土地へ放り出された感じで『迷って帰れないのでは?ヘンゼルとグレーテルの
ようにならないか?』などと心配してしまいます。実はドイツは緑も多く森が深い
のも事実ですが、実際の街近くはそれ程深い森はありません。しかし深い森に見
せかける術がとても上手なのです。特に自動車専用道を走ったり、散歩道を歩い
たりすると道の脇は大きな木があり、こういうのがどこまでも続くように見えます。
しかし、この木は2列程度だけでその向こうは(さすがに家と言う訳ではありま
せんが)畑や原っぱと言う作りが多いのです。この木が落葉樹の場合、夏は鬱蒼
たる森に囲まれた道と思っていたら、冬落葉して『あれ、こんなに浅い木立だった
の?』とすぐに見える畑にがっかりと言うかやられたと言うか、そんな経験が度々
です。

車道

この道も森の中のようですが木は2列程度です


とにかくこのような無人にも見える道でも暫く歩いているとぽつぽつ人が散歩して
いてばったりと出会います。そう、ドイツ人は散歩が大好き、休日は勿論ですが平
日でも一家で、恋人どうしで、親子で、犬連れでとそれぞれのスタイルでこういう
街外れの自然環境を散歩します。散歩はドイツ語でspazieren(シュパツイーレン)
と言い、これだけで”散歩する”との動詞ですが通常散歩に出ると言う意味で
spazieren gehen(シュパツイーレン・ゲーン)と言います。これは覚えておくと良い
言葉でしょう。

ドイツ人にとって散歩は健康のための歩きですがコミュニケーションの手段でもある
ようです。結構話をしながら歩く訳で、自然に恵まれた環境の散歩は日本の都会
の散歩とは随分違う雰囲気になるものです。日本の都会で散歩しても先ず並んで
歩いていると邪魔でぶつかりそうな狭い道が多いし、人通りも多いのであまり本格
的なお喋りにはならないし、できないものです。ドイツの散歩は歩きと喋りでしっ
かりと絆を確認し合える場でしょうか?

そこで他の人と出会ってもしっかりコミュニケーションつまり挨拶します。これが
この地の散歩のきまりと言えます。朝はGuten Morgen(グーテンモルゲン)
=おはよう、昼はGuten Tag(グーテンターク)=こんにちは、夕方はGuten
Abend(グーテンアーベント)、時間に関わらずHello(ハロー)と言う具合です。
混んだ日本で挨拶すると挨拶だらけの恐れもありますが、中々人に会わないドイツ
の散歩道でばったり会うと挨拶は自然で好ましく感じられます。

動物たち

ドイツの散歩で楽しいもう一つは動物達です。自然に住んでいてよく出くわすのが
リス、うさぎ、そして多くの鳥です。リスは我が家の傍の大木に住んでいるらしく
夏はちょこちょこ可愛い姿を時折見せましたが、実は冬は葉が落ちるので結構丸見
えになります。特に雪の積もった日など白一色の中に茶色で動き回るので目立ちま
す、素早い動きを観察しながら楽しめました。ベランダにクルミの実などを置いて
やると喜んで取りに来るなど人間に近い所で当たり前に暮らしています。

兎も野生ですが人間の暮らしに近い所で、ちょっとした原っぱがあるとよく見かけ
たものです。鳥は種類が多いのですが何と言っても目立つ鳥はアムゼル、和名は黒
歌鳥と呼ばれる黒の体に黄色い嘴の鳥です。この鳥は絶対数も多いと思いますが、
とにかく人の暮らしに近い所で活動する事、地面をちょこちょこ歩き回る事、夕暮
れや夜明けの時間でも活発に動き回る事などからとにかく人の目につきます。

我が家の玄関の門燈は人などが近づくと感知して点灯する方式でしたが、冬のまだ
暗い未明などにトイレに起きてふと見るとこの玄関灯がついていたりして、あれ
何だか怪しい奴がやってきたか?などと最初は訝りましたが、どうもこのアムゼル
の仕業らしいとわかってきました。散歩に行っても脇の植え込みでザザザとか怪し
い物音がすると大体この鳥のせいです。黒くてやや図体も大きく、地面を歩き回る
ので最初はネズミと間違えたり、ネズミ鳥との称号を与えてあまり良い印象の鳥で
は無かったのですが、時が経って慣れてくると散歩の静かな道の脇でがさがさやっ
てくれると何かホッとして”やあネズミ鳥君”と呼びかけたくなる結構愛嬌ある鳥
との印象に変わりました。

野生で出会った珍しい生き物は”針ねずみ”です。これは生息すると聞いてはいま
したが、或る日の夕方散歩から戻ったら我が家の玄関先の小庭に何とこの”針ねず
み”が居たのです。初めて見たので”へー本当に居たんだ”と脅さないようにじっ
として観察、向こうもばったり会ってしまってどうしようかと窺う風にじとして、
二人ならぬ一人と一匹で暫く固まっていました。見たのはこの1回だけで、家によ
り長い時間居る家内も見たことが無いと言うので本当にあれは妄想ではなく現実だ
ったんだよねと何回か自ら思い起こして確認していました。いや、現実です。

以上は野生の生き物ですが散歩では飼われている動物達ともよく出会います。
日本と同じく一番多いのは犬です。広い庭、広い自然のせいか、犬ものびのびとし
ているように思えます。そして比較的大きな犬が多く、又黒の犬も多いのがドイツ
の特徴のように思えました。飼い紐をつけずに散歩している人も結構多いのですが
犬が吠えたり危険を感じさせる動作をする事はまずありません。犬も自然を楽しん
でいる感じで、本当に中々恵まれた環境です。
一方猫ですが勿論飼っている家はありますが犬と比較すると少ないように思えます。
猫は散歩には連れ出さないからそういう印象だけかもしれませんが、ドイツの広々
とした自然はやはり犬の方により相応しい気はします。

日本では普通の街の郊外では見かけないがドイツでは郊外では当たり前なのが馬で
す。馬は犬程ではないにしても飼って散歩に連れ出したり乗馬するのは当たり前の
ようで、特に女の子は多くの子が嗜みとして子供からハイティーン位の時期には乗
馬をすると聞きます。会社のドイツ人女性に尋ねると『まあそのとおりよ、私も幼
い頃から20代半ば迄はやってたわ』と言う具合です。

しかし、犬と違ってさすがに馬は普通の家で飼うには大変だし臭いとか汚れの隣近
所への影響が特に清潔好きドイツですから問題になってしまいます。そこで実際に
はこれを預かって飼育する施設、まあ飼い馬用牧場が運営されています。
我が家から歩いて10分程の住宅地の端にこの牧場がありました。散歩で通ると夕
方や休日など飼い主のお嬢さんがやってきて隣接の馬場で乗馬練習をしたり、良い
天気だとパカパカと一緒にお散歩です。こういう環境ですから道にちゃんと馬用の
標識があって、ここは馬通行可のようなマークがあります。

馬1

飼い馬を預かる牧場。後はSchwalbachの街とタウナス山


馬2

牧場に来て愛馬と散歩はドイツ女性のたしなみ



とても長閑で良いのですが一つだけ糞の問題があります。尾籠な話ですが馬も散歩
中にダダダと垂れ流します。犬と違って大量なので一々飼い主が片付けとも行かず
結局道に放置されるのです。散歩で踏まぬようにとか要注意ですが、この件で文句
をつける住人はいないようです。自然の摂理だから、そのうち周りの土の良い肥料
になるからと諦めているのでしょうか。このあたりの社会コモンセンスが一つの地
域文化と言うことでしょう。

道路の豆知識

ところでこうやって散歩しているうちに道や道路に関して幾つか発見がありました
ので役に立ちそうなのを紹介してみましょう。

一つはUmleitung(ウムライトゥング)です。時々道にUmleitungと言う看板が立って
いたりします。一体これは何だろう?と思って辞書を引くと『回り道』。ドイツで
は(日本同様?)結構道路工事が多いので、特に車を使う時には覚えておくと便利
な言葉です。

もう一つは道路の名前。道路の名前はメインの通りには偉人や有名な都市の名前が
冠される場合が多く、Robert Bosch Strasse(Street=ストリート、通り)やBerliner
Strasseは方々の街にあります。因みに殆どの方がご存知かもしれませんがRobert
Bosch(ロバートボッシュ)はドイツの自動車草創期の有名エンジニアでBerlinerは
首都ベルリンのことです。

ここで私が発見したのは街と街を結ぶ道路の法則です。Aと言う街とBと言う街を
結んでいる道では次のような法則で道路に名前が冠されています。『この道路の
A側半分をB Strasse(B通り)、B側半分をA Strasse(A通り)と言う』。
これは単純だが合理的でドイツっぽいなと感心しました。つまり或る街からこの
道路を出た時にその道路が次にどこの街に通じているかがすぐわかります。

一例として私が住んだSchwalbach(シュバルバッハ)と隣のEschborn(エシボーン)
を結ぶ道路で見てみましょう。
Google Mapを開いて"Eschborner strasse 60 Schwalbach am Taunus"と入れて
みて下さい。そう、ここは左上にあるSchwalbachと右下にあるEschbornを結ぶ道
なのですが、中央がL3005と書かれた自動車道路です。左上のSchwalbachから
右下Eschbornに向かって進むこの道がL3005迄は"Eschborner Strasse"
(エシボーン通り)と呼ばれるのですが、L3005を超えてエシボーン側に入ると
今度は"Schwalbach Strasse"(シュバルバッハ通り)となってしまいます。
つまり上の法則でAをシュバルバッハ、Bをエシボーンに当てはめれば良いのです。
この法則を知っていると大変役立ちますよ。



§3 小さな街のアパートで

さて仮住まいのアパートは4階建で各フロア3−4室、合計15室程度のそこそこ
古く或いは新しい(どちらかよくわからぬ)建物でした。私の部屋は1DKの間取り
でこれにバス、トイレ、洗面が合わさった水回り部屋がつきます。大家のおばさん
は隣町に住んでいるが中々熱心で部屋選びの時から日本人と見るとちゃんとバス
タブがあるよ、とか宣伝を忘れません。とてもお喋りでべらべらと喋りまくるが
残念ながらドイツ語で英語は話さぬようなので直接会話ができない。しかしこの
多量の喋りに太刀打ちできるのは大阪のおばちゃん位かなあと妙な比較をしてし
まいます。日曜日には中学生の娘を連れてアパート迄やってきて、『住み心地は
どうか?(と言うような事を言ったのだろうと思うが)』などと聞きながら廊下を
掃除していました。

生活はDKが中心で食事もPCや書きものもここの机でやります。インターネットも
高速のが入っており快適に通信できる。寝室も2方向に窓があり向きが西で夏
だったので夕方西日が射すのがやや不快だが夜や午前は快適。そう、Frankfurt
の夏は昼間は暑い日は35℃迄上がる日もあり暑いのだが夜は気温が20℃位に
落ちる。ここは緯度で測れば樺太と同じ位置にあり、夏至を中心に夜10時過ぎ迄
陽が明るい気候であり、それでも夜の気温は慎ましい。明る過ぎて眠れない事に
ならないよう窓には必ず日除けとかシャッターがついています。

一方で冬は朝8時を過ぎないと明るくならず、夕方は4時には暗くなってしまう陰鬱
な気候です。つまり夏も冬も日本より極端な気候である。 その結果当然冬から夏に
向かう春、そして夏から冬に向かう秋が大変DYNAMICに変化する。日本などと
比べて傾きが大きいのです。 『日本には四季がある』とか『黄金の国ジパング』
等と言う言葉から例えばドイツでは四季は無いのか、どうなっているのだろう?と
常々思っていましたが、暮らしてわかったのが四季はあるが特に変化の傾きの大きい
春や秋はそれを鑑賞している暇が無いと言うことです。 例えば紅葉、黄葉もあるが
猛スピードで秋が通過するので長続きしない。日本だと2週間で順次色づき、散る所
を鑑賞できるのが3日でさっさと色づいて落ちてしまうイメージなので紅葉、黄葉の
現象はあっても季節として鑑賞されないと言うことでしょうか。
この極度に明るい気候の産物として春から夏にどんどん植物が成長します。うまく
やればどの畑でも二毛作が可能で、実際やっている所も多い。そして秋に冷涼に
なるので林檎などの果物がよく生育します。特にFrankfurt地域は林檎の木が
多く、野生と呼ぶべきかそこらの原っぱに勝手に林檎がなっているががつがつ取る
人もいません。アップルワインと言う独特の地酒もあってこれも安価です。そう、
書物に拠るとドイツは食糧自給率が100%だそうです。輸入が全部停まっても
最低限地場の食糧で暮らしていけると言うことで大変羨ましい。

暮らしの珍事件

さてこの暮らしの章の最後は実際起こった生活珍事2件です。

1件目は街の入り口で起こりました。街の入り口には立派な石造りのゲートがあっ
て車がそろりと1台ずつ入れるようになっています。車を使っていましたのでその
日もこのゲートをくぐって入ろうとしたのですがどうも様子が違います。実は街の
はずれには野外劇場があるのですが夏を迎えたその日、野外劇場でコンサートが開
かれるのでした。ここに向かう人々が車でやって来るのですが本来は別の駐車場が
設けられておりそこに停めねばなりません。しかしこのゲートから入って路上駐車
してしまうのが最も手軽なので何台か車が進入して停めたようです。
これに怒ったのがこの街のおじさん、腹巻のようなの(ドイツに腹巻は無いとは思
いますが)を巻いた巨体でふんぞり返りながら『よそ者の車はここから入っちゃい
かん』と息巻いていたのです。私は音楽会に行く訳ではなく住人なので入れる筈な
んですがドイツ語で説明できないためこの怒れるおじさんに行く手を阻まれてしま
いました。

窓から顔を出して『えーと住んでるってWohnenだっけ、イッヒヴォーネヒア!』
とか言ってみますが何だこのヤパン(日本)ヤロー出ていけと言う感じで怖い顔で
通せんぼして頑張っています。うーむ困った引き返して遠回りで裏から街へ入るし
かないかとふと後ろを見ると既に車が2台程詰まってしまっています、すぐ後ろの
車の中からはおばさんの怖い顔が...あれれ、引き返しもできない、早く動けと
怒っているのだろうか?まさに”前門の虎、後門の狼”ならぬ”前門のおじさん、
後門のおばさん”状態です。さて一体どうしてこの難問を解くかと頭を抱えたとこ
ろ、意外な展開で問題解決です。

先ず後の車のおばさんが窓をスーッと開けて顔を出し、おじさんに対して声何か声
をかけました。おばさんはこの街の住人だったのでしょう、そしておじさんの連れ
合いでは無いにしてもよく知っている間柄でしょうか、おそらく『あんた又飲んだ
くれて何を変な通せんぼやってんのさ、早く通しなさい』てな所でしょうか。
大体こういうおじさんは男には喧嘩腰で強くても弱みを掴まれている?おばさんに
は滅法弱いのは万国共通らしく、忽ち腰砕けで退散のハメになり1件落着。
平和な街の雰囲気を感じさせる一こまでした。

2件目はアパートの台所で発生しました。このアパートのキッチンには鍋や皿が装
備されて、電気コンロもあります。と言う訳で料理を思い立ちました。材料は近く
のスーパーで肉と野菜を買い、電気コンロで熱して……とやり始めたのですが問題
は電気コンロでした。日本でも電気ヒーターのようなものを使って鍋物を温めたり
していましたがとにかくガスの火なんかに比べると火力が弱いのです。中々温まら
ず辟易した覚えあり。これがいけませんでした。

そう、ここはドイツ、日本ではない、つまり日本の倍の電圧200Vなのです。
弱々しい電気コンロのことだからまだまだ熱されていないだろうとタカをくくって
開けた蓋の下は予想に反しがんがんに熱されており、勢いよく水蒸気がもうもうと
天井へ!これに火災報知器が反応してアパート中に響き渡る大音量の『ファンー
ファンーファンーファンーー』。いやあこれは間違いなく消防車が来るだろう、
捕まるのだろうか、いや火事じゃないから捕まりはしまい、しかし日本の新聞に
報道されたら恥ずかしいな、待てよ、説明がドイツ語じゃできないけど消防士は
英語を話すだろうか?などなどくだらない妄想が頭を駆け巡ります。いずれにせよ
もう覚悟を決めて食事を取りつつ消防車を待ったが一向に来ない。そのうち大音量
も疲れたのかいつか止み、定期的なピピッと言う中音量に。消防車は来ないがこの
30秒ごとのピピッ音じゃ眠れないと椅子の上に台も積み上げて天井の報知器調査
に乗り出し、遂にリセットボタン発見、元に戻りました。

この後暮らしていてわかったのですがこの火災報知器は結構過敏でちょっとした
蒸気や煙に反応してしまうようで、よく『ファンーファンー』と鳴っています。
他の住人にとっては『ああ、又鳴らしている』と言う感じだったんですね。
200Vの威力は湯沸かしポットでも凄くて結構すぐにお湯が湧きます。明治維新
だかいつかわかりませんがどうして日本も200Vにしなかったんだろうか?
この珍事程では無いですが洗濯機も動かし方がわからず閉口しました。
最上階に共通の洗濯機があるので洗濯を試みたが何だか色々な数字が並んでおり、
その割にはSwitch Onがよくわからず。Switchを先ず一番上に持って行った
上にその後湯温30(30℃の意味)に続けて回すときちんと動くのですがこれは
知らぬと難しい、知ってしまうとどうと言う事も無い操作です。教えてくれたのは
同じアパート住まいのアフリカの若い女性。そうそう、ドイツには日本とは違って
アフリカの人も結構多いですね(パリ程ではないが)。やはりアフリカは近いんだ
なあと実感します。そしてドイツで身を立てようと言うのだから優秀な女性なの
でしょう、しゃきしゃきと英語で教えてくれました、ありがとう!



§4 Frankfurt北東部

2週間の仮住まいアパート生活を経ていよいよ契約した本住まいへと移動しました。
8月初めのことです。先ず場所ですがフランクフルトの北東部、Schwalbach(シュバル
バッハ)という街(市)です。仮住まいはFrankfurt南部でした。南部にはNeu-Isenburg
(ノイーイゼンブルグ), Langen(ランゲン),Dreieich(ドライアイヒ)と言う街が続いて
Darmstadt(ダルムシュタット)に至ります。会社がLangenにありましたので仮住まいは
Dreieichだったのですが日本人の駐在員はこの北東部に住む人が多いのです。
その理由は日本人学校です。これがFrankfurt市北東部のHausenと言う場所にある
ため特に小学生を持つ家族は子供が通いやすい北東部を選びます。
私は家内と二人の赴任だったので特に北東部の必要は無かったのですが、日本人
の不動産屋さんがこの地区を中心に物件を持っているのでどうしてもこの地区に
なるケースが多い訳です。

北東部にはFrankfurtから近い順にEschborn(エシボーン)、 Schwalbach(シュバル
バッハ)、Kronberg(クロンベルク)と続きます。実はこの先にそう高くはありま
せんがTaunus(タウヌス)と言う山がありそこに段々近づく地理になっています。
従って最後のKronberg迄行くと結構標高があり、眺めが良くなると同時に冬は寒い
地となります。それぞれの市にはそれぞれの特色があります。

EschbornがFrankfurtに隣接の市なので住宅地であると同時に会社が集まる
ビジネス街もあり、InternationalなHotelもあります。一方Kronbergは高級
住宅地であり、緑と歴史に彩られたVictoria公園やお城Hotelなど古き良き長閑さと
気品を感じさせる街です。さてSchwalbachはこの中間なのでContinetalやP&Gと
言うGlobal企業の事務所もあり、住宅地でもあり、公園や自然も豊富と言う場所柄です。

Global企業と言えばSamsungのドイツ(或いは欧州も?)の本社ではないかと
思われる大拠点がSchwalbachにあります。Schwalbachを通る郊外電車はS3(Sは郊外
電車、その運行系統に番号が付与されます、この3番)と言いますが、そのSchwalbach
駅の一つ前にSchwalbach Nord(北)駅というさびれた駅があります。この駅が実は
すぐ傍のSamsung社構内へ直通の通勤駅で、隣人からはSamsung社がお金を投じて
作らせたと聞きました。Samsung社に繋がっている以外には周りは原っぱと林しかなので
そうなのでしょう。それでSchwalbachや周りのKronbergには韓国の人が多く住み、
韓国料理店も沢山あります。

シュバルバッハには一つ特筆すべき店もあります。それは私が住んだ家から歩いて
3分の所にある郊外街のホテルレストランMutter Klaus(ムタークラウス)です。
これはクラウス母さんと言う意味ですが、名付け親は何とあのビスマルクだそう
です。ビスマルクは1850年頃数年の赴任も含め外交官としてここフランクフルト
に通い、後のドイツ帝国設立のための重要な人脈を築いたりアイデアを練ったと
言われています。その時期おそらくこの宿に投宿してこの宿屋の女主人の手作りの
料理を味わったようです。そしてお礼に『おいしい手作り料理をアピールするため
是非こういう名前をつけると良い』と薦めたのでしょう。1668年には既にZum Hirschen
(ドイツ語で鹿)と言う名前で営業していたこの伝統ある宿をこう命名したのです。
最初は知らないでこのレストランが近いので食べていましたが、ドイツ語勉強のた
めに市役所発行のパンフレットを読んでいたらこんな事が書いてあったのです。
それ以来、ここに食べに来ると”ああ、ビスマルクもこの料理を食べてビールを
飲みつつ戦略を練ったんだろうかと”と感慨深く味わうようになりました。
サイトは Mutter Klaus ですが都心からはかなり不便なのでお勧めはしません。

Schwalbach市が有する他の特徴は外国人移民の受け入れ地域と言うことです。
駅前は先に紹介したMarktやCafeがあってMarktでは金曜日に市が立ちますが、
他の街と違うのは駅の周辺に7,8階から15階建くらいの高層アパートが幾つかあり、
ここに多くの外国人移民や海外からの出稼ぎ者、一時滞在者が沢山暮らしています。
ドイツは一時期移民、特にトルコからの移民を計画的に進めたがあまりうまく融和
できず中止したと聞きます。確かにトルコ人も多いですが、別に書いたようにアフ
リカや東南欧からも人が集まっています。
移民だけでなく(と言うかEUとなって移動が自由化された最近は特に)出稼ぎの
人も多いようです。特にFrankfurtのような伝統的国際都市はこういう
人の来やすい環境でもあるのでしょう。



§5 ドイツの一軒家

私が住んだ街はSchwalbach、選んだ住まいは三軒連続の長屋スタイルで真中
の家です。ドイツの伝統的な住まいにはこの長屋形式と大きな家を2−3家族で
シェアする(通常は一階と二階とか階で分かれる場合が多い)形式があります。
シェア形式だと生活音の問題とか水道料金がメーター一つしかなくて分配する時に
もめるとか色々トラブルも多いと聞きましたので長屋形式を選びました。
確かに構造は長屋ですがそれぞれが大きな家で仕切りの壁も分厚いので独立性も
高く音も気になりません。隣の9歳の男の子がサッカー好きで家の中でボールを
蹴り回すのでお母さんが心配して『音が聞こえないか?』と尋ねてきましたが全く
気がつきません。とにかくドイツの家の壁は建設中の家を見るとわかりますが
とても分厚いのです。それですから住宅をきれいに保つ事にうるさいドイツでも
壁に穴を開けるのは自由です。こういう家ですから実際は一軒家と言えます

家外観

3軒続きの真ん中屋根裏窓が見えるのが我が家


アパート生活から郊外の一軒家の生活に移りました。
さて住んだ家の間取りです。ドイツはいわゆる日本の1階は0階と称されグランド
フロア(ドイツ語でErdgeschoss)と呼ばれ、頭文字のEで表示されます。
日本の2階が1階と称され1で表示、日本の3階、4階は2,3となります。
我が家ではE階にはキッチンとLiving&Diningがあり、1階に2寝室とカバン部屋、
お風呂があり地下に集中温度管理室と洗濯場それにPlaying Roomがあります。
大体の家がこの構造ですがこの家はプラスでやや余裕の空間がありました。それは
1階のカバン部屋、地下のPlaying Roomそれに屋根裏部屋です。カバン部屋
は屋根が斜めになっている部分の下の部屋で、最初寝室に使えるかと思いました
が息子が遊びにやって来た時に寝てみると雨が降ってその雨音が斜めになった
屋根に開けた窓でバシャバシャして眠れなかったので文字通りカバン(と衣装)
部屋になりました。地下のPlaying Roomはモノ置きと訪問者を泊める予備部屋
で使いました。この家は入り口から奥へと地面が傾斜して下がる構造なので、地下
のPlaying Roomの前は庭になっています。1階(日本の2階)のベランダだけで
なく、この庭があって地面や自然と親しめたのもこの家の良い点でした。

リビング

リビングルーム


ベランダ

春から秋迄豊かな木々に面するベランダ


地下からの庭

傾斜の関係で入り口から見た地下が実は地面、庭として親しめる


気に入って自分の書斎として使ったのが屋根裏部屋です。
屋根裏部屋もドイツの家では結構ポピュラーなものなのですが通常はモノ置きに
使います。住める環境では無いと言うことですがこの家のオーナーは中々のチャ
レンジャーで、家に対して色々工夫や改築を加えています。住める屋根裏部屋は
その一つですが、他にも地下にサウナ室を設置したり、庭に雨水を貯めて散水に
利用できる設備とかがありました。住める屋根裏部屋の要諦は多くの窓、その窓に
つけたシャッター(自動)、暖房設置、インテリアと言った所です。
先ず多くの窓により光や眺めがすばらしくなります。しかし、同時に光が入り
過ぎて暑い、眩しい、或いは冬は寒いと言う現象が起こりますのでこれを制御
する仕掛けが必要です。狭い空間なので置物家具でなく壁に備え付けのキャビ
ネットと本棚で有効利用を図っています。こうして工夫開発された屋根裏書斎は
将に男の憧れである隠れ家的Enjoy空間です。朝早く目覚めて朝食迄、或いは
日曜の午後ジョギング後から夕食迄とちょっとした時間を窓の外に広がる大きな空、
静かな家々と教会、そしてTaunus山を眺めながら過ごすのは至高の時間でした。

屋根裏1

入居直後の屋根裏部屋、この後好みの(ごちゃごちゃ)部屋に


屋根裏2

屋根裏部屋の窓からのドイツらしい風景


ドイツの鍵文化

さて家の鍵の話をしましょう。ドイツの家の玄関の鍵はホテル式です。つまり外に
出た後ドアをバタンと閉めると自動的に鍵がかかってしましまいます。これは鍵の
かけ忘れが無いと言うメリットとは裏腹に、もし鍵を持たずに外に出てドアを閉め
てしまうと自分も入れないと言うリスクもあります。しかしこれがドイツの大体の
鍵の基本であり、文化なのです。

実は私はかつて出張したアメリカのホテルでこれで痛い目に遭いました。泊ってい
たホテルで寝る準備をして下着にバスローブ姿の所に非常ベルがジャーンと鳴りま
した。何事か?とドアを開けて顔を覗かせたのですがそう大した事は無さそうです、
よくある火災報知機誤作動か何かの感じです。やれやれと、そこで手に持っていた
袋バッグがぽろと手から落ちたので拾おうと身を乗り出したした所、つっかいにし
ていた手が外れてドアがスーッ、バタンと後で閉まってしまいました。ああ!鍵が
...なんて言っても遅し、無情にも部屋からシャットアウトです。
そのあたりを見ても残念ながら内線電話はありません。フロントに行くべきとは思
うのですが何せ下着姿、迷います。しかし、解決手段はずっと立って係員が通るの
を待つかフロントへ行くかですが、前者は一体いつになるか不明でもあり後者を
選択するしかありません。恐る恐る階段を下りて、フロントへ。でもこの時にホテル
マンはプロだなあと感心しました。妙なバスローブ姿の客にも顔色一つ変えず『わ
かりました、合鍵を持ってまいります』と。

こういうリスクがあるので鍵は玄関のドアの内側ノブに紐をつけて吊るします。
そして普段の生活のゴミ出しとかで玄関を出入りする際にはこれを取って必ず首に
かけて出るのを習慣としました。出かける場合は財布と同じくキーホルダーケース
を必須携行品として持ち歩くようにしました。それでも”事故”は起こり得るので
ドイツの皆さんはどうしているかと言うと鍵をお隣に預けるのです。ずっと暮らし
を共にするお隣が一番信用できて便利な番人さんですね、そしてお互い様です。

この方式で助かりました。家内が旅行に出て一人になった日曜日、ジョギングに出
て戻るとポケットに入れた筈の鍵がありません!慌てて走ったコースを或る程度逆
戻りで探すも見当たらず、お隣のベテランドイツ人家へ駆け込んで預けていた鍵に
より何とか救われました。

それからドイツの鍵は中々凝っています。上記のとおり我が家の鍵は外からバタン
と閉まると自動ロックされるのですが、実はこれは0次状態のようです。つまり泥
棒など専門家にとってはでしょうが簡単に開く状態らしいのです。そこで更に鍵を
ぐるぐるネジを締めるように回して頑丈に締めることができます。1回回すと1次
状態、2回で2次状態となり、長時間の留守は2次状態がお薦めなのです。

ここ迄やる必要があるのか?とも思いますが、ドイツでは家の敷地に余裕があり、
そう建て込んではいないので隣が留守だとかなり不用心です。そしてドイツでは長
期休暇が当たり前なので向こう3軒両隣も留守も結構起こり得ます。しかしこうい
う理由と同時にメカ好きのドイツ人にとりこういう仕組みだらけの鍵は格好の工作
対象であると言うのも影響していると思います。
時折見る街の鍵屋さん、ショーケースを見ているだけでもかなり奥の深い世界だと
感心させられますから。興味のある人にとってドイツの鍵文化はかなり探求価値の
あるものかもしれません。



§6 ドイツの暮らし文化 ― 住衣食の住 ―

SchwalbachというFrankfurt北東部の長屋式一軒家で始まった生活ですが、基本
はそう大きくは日本と変わりません。しかし、細部で色々違いもわかってきます。

暮らしの構成と言うか全体枠組みでの大きな特徴が衣食住の優先順序でしょう。

ドイツでは優先度が高い順から住衣食のように思われます。とにかく住へのこだ
わりは結構あります。実はドイツへの赴任前に会社で簡単な紹介教育を施して
くれて、ここでも聞いていた事ですが街の美観と同期すべき外装や庭、道の手入れ
と家の中のピカピカぶりは実際暮らして実感されるところでした。
外装の中心は窓であり、道を歩いて家々の窓を見るとしゃれたカーテンとその
合間に見える人形や置物が住まいを楽しむ雰囲気を醸し出します。出窓など余裕
がある場合には花の鉢やBOXが置かれて華やかさを演出します。庭については
花や木々をしっかり植えて手入れも欠かしません。道については自宅前の道は
保守責任があると言う(多分)不文律の下、例えば冬季に雪が降って積もった
場合には自宅庭に接した公道は雪かきをしなければいけない。もしこれを怠って
人が転んだらその家の責任であると隣のドイツ人から教わりました。

家の中もピカピカです。特に汚れやすいのはキッチンでしょうが、これが大変
美しいままです。我が家は魚を料理したり揚げ物をしてすぐに汚れが目立って
しまうのにどうして?
最初はよく聞く説であり、そのとおりだよと言うドイツ人もいる説が『あまり料理
しない』説です。これは事実の一端のようで、特にメインを夕食ではなく昼食にす
る人も多いと聞きました。この場合特にウイークデイの夕食は冷たいもの、つまり
ソーセージやハムとチーズなどを取る家も多いようです。確かにハム、ソーセージ
は安価でおいしいドイツの食べ物で自慢できるものですから妥当な習慣かもしれま
せん。 この説の傍証として流しのシンクがやけに小さい事実があります。何につけ日本の
3倍程度は大きいと言う印象のあるドイツでシンクだけは日本の半分程度のちょこ
っとしたものでアンバランスを感じます。ドイツは(場所にもよるでしょうから少
なくともFrankfurtなど内陸は)やはり新鮮な魚が手に入り難く、故に家庭で魚を
さばく文化も無いのでこの程度のシンクなのだと言うのが日本人住人の説でした。

キッチン

ドイツのキッチン。全体に大きいがシンクは小さく、必ず食洗器備え付け


しかし暮らして段々わかってきたのはこういう汚れ発生の最小化説だけでなく
発生汚れの予防、除去でもドイツでは尽力多大と言うことです。汚れの予防、
除去の要は手順文化、社会体制、そしてツール類です。

先ず手順文化ですがこれは家内がドイツの料理講習に乗り込んで発見しました。
ドイツも文化活動が盛んで街ごとに近所の人を募る奥様料理教室があるのですが、
我が女房殿がドイツ語も侭ならぬのに応募して出かけました。ここで発見したのが
料理内容よりはその手順です。先生殿やドイツ奥様の進め方を見るに要は料理と
清掃が同時に進行する発想だと言う訳です。日本人は一生懸命料理を作り食べるが
実は『後片付け』と言う概念があってこれを分離している。確かに我が家も女房殿
が頑張ってごちそうを作った時は『後片付けはあなたよ』と仰せつかって、しかし
ご馳走たいらげた後は中々億劫でと言うのがよくあるパターンです。

勿論ご馳走を食べた後でしか片付けられない食器とかはありますが、実は汚れの
大きな所は料理実行過程からも出る訳です。後のツールの所で述べるように食べた
後でしか対処できぬ食器などは食洗機と言う強力ツールでやっつけますが、一方の
料理過程汚れはツール以外に料理と清掃を同時に進める考えで対処している手順
文化もあるとの発見です。

料理教室1

家内が参加した料理教室はこの学校を借りました


料理教室2

講習会で先生の指導開始、生徒は女性10名、男性2名


料理教室3

かなり進んだ時点で先生の再指導


料理教室4

さあぴかぴかに向けて片付け、やはり男性が結構活躍です



次の汚れ除去の要は社会体制です。これはいわゆる清掃専門家の活躍です。
多くの家、特に子供が小さかったりで主婦の清掃が不十分になる家庭では専門の
清掃家政婦さんに週1−3回来てもらい清掃を強化します。
これは別に述べたようにドイツへの移民や出稼ぎの人が多くいてこの人達、特に
女性の活躍場所の一つのようです。そして供給豊富だからか安価で仕事はしっかり
しています。大体1時間10Euroでしっかり清掃してくれます。

我が家も清掃方法を習う意味もあって隣の家に来ていた女性に週1回2時間お願い
しました。この人は90年代はじめに紛争の続いた旧ユーゴスラヴィア地域の出身
で教師をやっていたそうです。紛争の影響で仕事を求め出稼ぎに回ったとのこと。
彼女のピカピカ術は見事でしたし、ツールも色々教わりましたが、最も印象に残る
のはその言葉と言うか哲学です。『掃除とは汚れた所をきれいにするのではなく
きれいな所を更にきれいにしていくもの』!いやあ、私の屋根裏部屋は頼みません
でしたが、もし頼んだらこれは掃除以前ですと断られたかもしれません。
料理学校先生の手順文化も含めきれいにするのはドイツ人の身についた文化哲学
と言えそうです。

汚れ除去最後はツールです。これだけピカピカに熱心なのでドイツには清掃Goods
の優れたものが多くあります。ツールを大きく分けると機械インフラから手先補助
に至るハードウェアと化学反応を活用する薬品などのケミカル系があります。
近所のスーパーから暮らし部品専門店まで百花繚乱と言ってよいのか豊富な商品が
ありますが、印象に残ったものを取り上げてみます。

ハードウェアの要は食洗機です。これはほぼどの家庭にも常備された機械で強力な
ケミカルとの組み合わせで食器を間違いなくピカピカにしてくれます。但しその
動作時間は長く120-150分程度を要します。夜寝る前にその日の食器全て
を入れてスイッチオンして寝る感じです。強力なケミカルはどこのスーパーでも
売っている角型の洗剤でどうも汚れ落としとピカピカ成分両方を混合したような
ことが書いてあります。別に書く予定ですがドイツ人はロボットと言うか自動機械
が大好きでこの食洗機はドイツ人が好きなピカピカ清掃と自動ロボットの結合
ですから各家庭常備なのでしょう。ところでドイツ人がこの食洗機を語る場合に
多くの人が『水の節約にもなる』と言います。
そう、やはり四方を海に囲まれ山も多くて降雨から安価な水を得られた(最近は
その劣化が報道されて心配ですが)日本とは違い、海が遠くて山も少ないドイツは
水が硬水で水の価格が高い状況にあるようです。シンクが小さいのもこれを抑える
側面があるかもしれません。とにかくこのピカピカ機械と使用洗剤は強力基本
ツール(ハードウェア+ケミカル)でしょう。
ハードウェアとして面白いのは拭き掃除関係でしょうか。家が広く拭き掃除対象の
床も多いドイツでは拭き掃除用のモップとそれをはめて使う棒機器も優れたもの、
面白いものが色々あるように思えます。勿論台所のちょっとした台拭きなどの
小物も工夫されたものが見られます。ケミカルでは有機の食器洗剤が有名です。

多くの支持者を持つ緑の党など環境運動に熱心な文化と伝統ある化学技術の結合
で生まれたドイツ的な商品と言えるでしょう。日本人にも有名で人気があるケミ
カル系商品の小物がGall-Seifeです。これはクラシカルな固形石鹸
ですがそのシミ取り能力の高さは万人の認める所です。

さて住の稿の最後に住所と通りの話です。ドイツの住所は何通りの何番地と言う
付け方になります。日本のように何町と言うのがありません。何市、何通り、
何番地です。そしてこの通りの名前は有名な人物、都市などが冠せられることが
多いのです。例えばベルリン通り(Berliner Strasse)は多くの市にその名前
があり、大体目抜き通りになっています。私が住んだSchwalbach市にもBerliner
Strasseはあって市内の幹線道路ではありましたが、Berlinと呼ぶイメージとは
違うなあといつも思ったものです。とにかく何市の何通りで初めて住所は確定
します。通りは通常はStrasseで英語のStreetと連想性のあるものですが
日本語でも横町とか大通りとかあるように幾つかバリエーションもあります。

例えばAlleeと呼ばれる道があり、これは並木道になっています。Gasseと呼ばれる
のは横町で、やや狭い通りです。これら、住所が通りに沿ってつくのはドイツに
限らずフランス、イタリアなども同様です。こうやって通りが住所の基本と言う
のは通りに対する自覚が生み出される気がします。やはりあのきれいなXX通りね、
と言われたいものでしょう。そう言えば近くにSchoen Strasse(美しい通り)と
言う通りがありました。確かに美しい通りなので納得はしましたが、一体誰に
命名権があるのかなあ?などと思ってしまいます。同じ市の中では当然同じ通り
の名はつけられないので市が管理しているには違いありませんが。



§7 ドイツの暮らし文化 ― 住衣食の衣 ―

さてドイツでの『衣』はどうでしょうか?フォーマル、ビジネス、カジュアル、
その他の分類で述べてみましょう。
先ず、フォーマルやカジュアルの服装は日本とそう違うことはありません。それは
当然で日本のフォーマル、ビジネスがどちらかと言えば欧米の文化をお手本にして
いる訳で、基本型は同じになります。
但し、例えばFrankfurtにもAlte Oper(旧オペラ劇場)とNeue Oper(新オペラ
劇場)の二つがありますが、ここにやって来るお客さんの中には思い切ったフォー
マルと言うかおしゃれをしている方が散見されます。
女性の場合は元々おしゃれを競っているので、私如き見る目が無い男には気付けぬ
凄いおしゃれもあるのでしょうが、私でも気付くのは紳士のおしゃれです。
例えば鮮やかな緑のジャケットとか赤いズボンのようなちょっと驚く色の服装を
されている方が時々居るのです。
劇場に楽しみに来るので雰囲気を盛り上げているのでしょう、イベントになると
そういう盛り上げ熱心な所はドイツ人の特徴のようで、普段のどちらかと言うと
おとなしい生活とか態度と比べ『あれれ!』と驚くことも多いです。

ビジネスはスーツとネクタイの万国共通仕様ですが細かい所に特徴はあります。

先ず、ネクタイは色はともかくストラップと言うのか斜め縞模様が主流です。
これは結構驚く程画一的な所も見られ、さるビジネスミーティングでは8人中6人
迄がこの模様でした。(そこ迄とは気付かなかった私が違う模様の一人でした)。

次にドイツは元々寒い地なので逆に夏を大変大事にして喜びを表す傾向があります。
これはビジネスでもそうで、7月が最も暑い月で30℃を超える日が出ますが、
この前後はビジネスマンも多くの人がしっかり半袖のワイシャツを着てきます。
この時期は夏の喜び優先で半袖でいいよね、との暗黙の了解があるようです。
さてこのようなワイシャツは勿論デパートや洋服店で既製品を売っていますが、
仕立てワイシャツも中々盛んであり、かつ良いものが手に入ります。

これはマイスター制度などを通じて有名なドイツの専門教育重視の成果かもしれま
せん。リーズナブルな価格でとても洒落て凝った仕立てシャツを注文できます。
例えば襟についているボタンダウンがボタン部分だけ二重構造になっていて、外から
見るとボタンが見えないがボタンダウンとわかる微妙な構造です。又、袖に切り込み
があって、これは何かと言うと腕時計がさっと見えるための構造です。確かに袖は
時計がぎりぎり見えない程度の長さが適しているので、どうしてもちょっと袖を
引き上げて時計を見る場合が多いですが、この構造だと素直に見えます。
こういう気配りの徹底で良い生地で作ってもらっても都心の一流店でさえ5000円
程度でしたので決して高過ぎない感じがします。出来上がるのに2週間程度かかる
ので短期の旅行では難しいが、少し方々回って滞在する場合にはヨーロッパ風の
デザイン生地とドイツ流おしゃれとこだわりの仕立て服は狙い目かもしれません。
到着時に採寸してもらい、帰りのフライト前に取って行くとしゃれて実用的な自分
へのお土産になります。

さて、夏の半袖のように色々砕けた装いもありますがビジネスはビジネスとして
それなりのスタイルがあります。しかし、面白いは金曜日です。ドイツの人は皆さん
週末を大変楽しみにしています。人によっては月曜出勤の時から週末迄は後何日か
などと数えている人もいて、金曜日には皆そわそわ、所謂フレックスタイムも普及
しているので午後も3時を過ぎるとSchoenes Wochenende!(良き週末を!)
と挨拶して我が家へ、実家へ、旅行へと向かいます。
この雰囲気を壊してはいけない、寧ろ盛り上げるのだと言うのが会社の幹部の役割
らしく、普段はスーツをばりっと着ている幹部も金曜はわざわざカジュアルスタイル
を纏ってリラックスムードを出します。この日のカジュアルだけは実は意識された
ビジネススタイルだったと言う訳です。
ついでに金曜は社員食堂では必ず魚のフライがメニューに登場しました。
どうしていつもこの料理なんだろうか?との私の疑問にドイツ人が答えていわく、
『金曜はフライデーだからフライなんだよ』。これが宗教や慣習に裏付けられた話
なのか単なる駄洒落なのかいまだに不明です。

次にカジュアルです。ドイツのカジュアル服と言えば先ず何と言ってもジーパン
でしょう。ドイツ人のジーパン好きは徹底しています。老若男女がこぞってジーパン
を身につけています。そして暑い夏から寒い冬迄、少し厚さや下に着けるものが
変わるかもしれませんが基本は同じジーパンです。これを知らなかった私は日本
から色々なズボンを持って来たのですが、最初はとにかく途中からはジーパンしか
使わなくなってスーツとジーパン以外はいらなかったんだと思ったものです。
そしてご存知のとおりドイツ人は体型がでかいので大きい方にも事欠かない品揃え
ですから、日本ではメタボがかったジーパンを探すのにやや苦労した私もちょっと
油断するとぶかぶかのジーパンを選ぶハメになるのでそちらに気を使いました。

上半身の方はと言えば、一般にやはり寒冷地なので寒さ対策に強い服装が優れて
います。例えばドイツで買った長袖ポロシャツを日本に持ち帰りました。寒くなった
季節の当初、日本製のポロシャツを着てもどうも寒いなあと感じていた所、ある日
このドイツ製ポロシャツを着たら何と寒く無いではありませんか。おや、とよく
見たらあまり意識しなかったけれど胸の開襟部や袖口と言った所だけががっちり
二重になって外気を遮断している訳です。さすが寒冷地の知恵!
このようにとにかく寒さ対策向けは色々気が回っていたり品揃え面からも中々価値
のある服やコートが多くあります。少し想像力を働かせながらデパートでも見て
回ると結構工夫が見えて面白く、又実用的な成果も得られます。

最後に帽子、手袋、靴と言ったアクセサリ的な洋品もポイントは寒さ耐性でしょう。
寒さ対策ががっちりした商品が豊富で安いのでお買い得です。特に靴については
暑い方も寒い方も良いものが手に入りました。
先ず暑い方はサンダル型の靴で、サンダルで空気の通りが良いが、踵の後はちゃんと
立っていて前部の合わせ布で貼り合わせられます。こうして安全性も確保され、
着脱が容易なサンダルを愛用していました。
一方の冬向けは少し丈のある長靴と言う感じのブーツ、これがとにかくがっちり丈夫
な上に内部がふわふわの毛で柔らかくて暖かいのです。そして靴底も工夫されて
いるのか雨や雪でも滑りません。滞在中に大雪が降って雪かきや雪道歩きに苦労
しましたが、この靴に随分助けられました。

こういうのと同じタイプのものは日本にもあるだろうと思いますが意外とすぐには
見当たりませんでした。実はこれらの靴を買ったのは街のど真ん中、Hauptwache
にあったHAKOと言う靴屋さんで愛用していたのですが、2011年から工事に
入って店を閉じています。新しい建物を作っていますが、これが又靴屋かどうかは
わかりません。次は何の店ができるのか?わかったらこのHPで又ご紹介したいと
思っています。
しかし、心配はご無用、フランクフルト都心だとこういうのを扱っている靴屋が結構
多く探すのに苦労しません。HAKOでなくてもきっと同じように良い靴が見つかる
でしょう。



§8 ドイツの暮らし文化 ― 住衣食の食 ―

食の話は二つの側面からお話します。一つは勿論ドイツ食やドイツの社会、家庭で
の食にまつわる話です。ドイツにも色々な地域がありますからフランクフルト近郊
の話と言うべきでしょうがドイツ全体に当てはまる話も結構あると思います。
次に今度はフランクフルト固有の話も多いですが国際都市としての各国、各地域か
らの食に関する話です。ここは多くの国からの食が入ってきておりトピックスも豊
富なのでやや長くなりました

ドイツと食、ドイツの食

それでは先ずドイツと食、ドイツの食。”住衣食”と並べたようにドイツ人は住や
衣程には食に熱心ではないように見えます。勿論一般論ですから、熱心な人も一杯
いるのでしょうがその割合が低く思えると言うことでしょうか。
ドイツの食事で有名なのは肉類とじゃがいもです。肉類は確かに扱いが上手で良い
ものが手に入ります。但し肉そのままは結構固い、脂身の少ないものをがっつり
食べます。量も多く、固さと量で日本人は中々ついていけず残す場合も多いです。
そして肉の種類としては豚肉が最もポピュラーで安くておいしいでしょう。他に
ラムや鶏肉、鴨肉も良いのが手に入り易いですが、牛肉が日本に比べて霜降り系
の脂が適当に混ざったものが少なく違和感を感じる事があります。ドイツでも人気が
高く日本人にも食べ易いのはSchnitzel(シュニッツェル)と言う豚カツ風の揚げ
もの(パン粉をつけて焼いたものですが)です。豚肉はこの他Schweinhaxe(シュバイン
ハクセ)やEisbein(アイスバイン)などドイツ料理店で味わえる有名料理があり
ますが諸案内本でガイドされていますので詳しくは述べません。
鴨肉は特にクリスマスシーズンにコンフィと言うフランス料理の調理をしたメニュー
に人気があります。一方で牛肉は料理方法もあまりバラエティとか繊細さが感じ
られず、とにかく石焼ステーキとかそのまま近くの食べ方で頑張っています。
こういう中ではハンガリー料理と聞きますがGulasch(グラ―シュ)と言うシチューに
入った牛肉は食べ易い料理の一つかもしれません。これをメニューに入れてある
レストランは割合多いです。

ドイツはご存知のとおりまだ森林も多いので野生動物、鹿などを取って食べる所謂
ジビエもポピュラーですがこれは好き嫌いが分かれる所でしょう。ミュンヘンなど
南部では結構ポピュラーですが癖がある場合も多いので覚悟は必要です。
私は苦手な方であまり挑戦しませんが、一度シュトゥットガルトで食べたジビエは
肉は固いが独特の味わいで中々おいしいと感じました。これはやはり現地に詳しい
人が選んでくれたレストランであり、こういうものを食べる時はジビエ文化が定着
した土地柄であること、その現地の人の推薦がある店や料理であることが大変重要
だと思います。
肉類でもハム、ソーセージは加工技術が発達しており日本にも導入されて人気の品
も多いので改めて説明の必要は無いでしょう(あまりに色々あり蘊蓄も深くてとても
書ききれる実力もありません)。こういう肉類は §1 ドイツ着、小さな街 で説明
したように、各街に金曜日などに立つ市(Markt)へやって来るお店で買うのが
良いのですが、都心ですと専門の肉屋さんかKlein Markt(クラインマルクト)と言う
小さな店が集まった大きな市場で買うのが良いでしょう。

さて肉の付け合わせと言うかパンと並ぶ主食の位置にあるじゃがいもについてです。
これは茹でたもの、マッシュポテト、フライ、少し加工していますがクヌーデル
(じゃがいもベースの団子でニョッキのような食感)でなど色々形を変えて登場する
準主役です。
茹でたものは単純に塩をしたりお酢で味付けしたりですが一般に酢を加えたものは
かなり酸っぱさを感じます。因みにドイツのスープは結構おいしいのですが塩が濃い
ものが多いです。これは皆水代わりにビールを飲むので塩を濃くするのだとの説を
聞いたことはありますが真贋はわかりません。
じゃがいも料理法で私が一番おいしいと思うのはマッシュポテトでこれはどこで食べ
ても結構秀逸です。ニュルンベルガーソーセージと言う短めのソーセージを6本程度
とこのマッシュポテトを付け合わせたものがランチなどの定番の一つでどこにでも
ありますが、結構日本人にも馴染みの味で食べ易いものです。

では肉とじゃがいもをベースにした有名品以外にはどんなドイツ料理があるかと
言うとどうも冴えません。ザウアークラウト(酢漬けキャベツ)とか割合シンプルな
ものはありますが凝った料理は?(但しこれは筆者の浅い経験によるものでもっと
奥深い料理があるが到達できていないのかもしれませんが)。
肉とじゃがいも以外にあまり色々な伝統料理が見当たらない理由として筆者が勝手
に推定するのはやはり長い間森の国ドイツは魚と野菜が入手し難く、種類が限定
されていた、或いは鮮度の問題があったのではないかと思います。
特に魚については北側の沿岸を除くと海岸線から遠く、中々食文化に根付き難かった
のは容易に想像できます。この状況を変えた一つの出来事は2000年前後に起きた
欧州の狂牛病事件です。当時私は出張で度々ドイツとフランクフルトを訪れていま
したが、現地のドイツ人から”日本料理が人気だ、肉が食べられない人が代りに”
おいしい魚を発見したと言うような話を聞いたことがあります。この時からスシの
Global化が始まったのかもしれません。
一方野菜や果物についてはEU(欧州連合)の効果が大きいと誰もが言います。
昔は野菜の種類がドイツで取れる寒冷向けに限られていたが、EUでの流通自由化
以降、スペインなど南国の野菜も流通するようになりそのバラエティの豊かさを
もたらしたようです。

国際都市の各国料理

さて話に国際的な広がりが出た所で特に国際都市であるフランクフルトの各国料理
の話に移りましょう。上記のような肉とじゃがいもを主としたやや偏った料理を補う
のは各国料理で、特にフランクフルトは国際都市でもあるので食材もレストランも
各国料理が盛んです。
その中で第一に挙げられるのはイタリア料理でしょう。レストランもイタリアンが
市内や郊外に一杯ありますし、パスタランチなど気軽に食べられるイタリアンは
ドイツの至る所で流行っています。そしてイタリアンは肉と同時に魚をメインに
しっかり使う料理が多いので食材屋も自ずから魚を仕入れます。フランクフルトでは
S-Bahn(郊外電車)S3,S4のWEST駅とRoedddelheim駅の間にVENOS(ヴェノス)と
言うイタリア食材の卸売店があります。ここは当然イタリアンレストランの人々が
仕入れに来るのですが、それに混じって多くの日本人滞在者が魚を求めてやって
来ます。魚の売り場は大型スーパーにもありますが、やはり新鮮で豊富な種類を
揃えているのはこのVENOSとKlein Marktの2階にある魚屋、そして2大百貨店で
あるGalleria,Karlstadt地下の魚売り場と言うことになるのです。
VENOSでは魚以外にも太陽を浴びて赤くおいしいトマトや緑色野菜も豊富で葡萄や
オレンジもおいしいです。イタリアワインもセールをやっており魅力的なのですが
ここに来る時は買い物なのでどうしても車を使います。故にテイスティングはやり
たいが酔っ払わないように、いつも量を抑えつつ楽しんだものです。

イタリア料理で最後に触れておかねばならないのはピザでしょう。ドイツ人のこの
ピザへの傾倒ぶりは中々のもので、ピザを夕食にしてこれをつまみに延々とビールを
飲むという人種が老若男女結構います。では家庭で焼いているか?この位はさすが
に家庭料理として浸透して台所で作る家も多いと思いたいのですが、これには又別
のバリアがあります。そう、ピザは宅配が発達し過ぎており電話1本で持って来て
くれるから...おいおい立派なオーブンがあるからピザくらい焼いたら?えっ、
チーズが垂れて汚れるからいやだ?全く何だかんだと言って中々料理をしません。
因みにドイツの料理にはピザに似たflammkuchen(フラムクーヘン)と言うのが
あります。これは下の生地がパンと言う以外はピサとほぼ同じ。と言うことはやはり
ピザとflammkuchenは家でも焼いている、としましょう。
ドイツ料理店でflammkuchenを見かけたらピザと思って注文して下さい。
ピザ風なので食べ易いですよ。但しかなり大きな板の上にどーんと載ってきます。
さすがにこの量はドイツの食べ物だわいと納得してしまいます。

イタリアと来れば次は食の大国フランスの筈なのですが、これが意外と不人気と
言うか流行ってません。フレンチレストランは勿論あるのですが、その数はイタリア
料理に比べるとぐんと減ってしまいますし、気軽にフレンチランチなどと言うのは
国際都市フランクフルトでも多くはありません。この理由は中々難しく推測する
しかありませんが先ずフランスとは隣国の複雑な関係、歴史的に敵対も多かった
こともあり、そう素直に受け入れなかった面はあるのでしょう。フランスも海岸線
は長く魚の料理文化はありますが、ドイツとしては長年のライバルフランスより昔
からの縁も深かったイタリアの魚文化を主流にしてしまったと言う所でしょうか。
一方で肉はどうかと言うとフランスは結構牛肉が盛んですがドイツは豚肉が安くて
おいしい、故にフランスの向こうを張って『うちは豚肉で行くぞ』みたいなノリです。
しかし上に述べたようにドイツの牛肉はやや固くがっちりしているのでメンツを捨て
て素直に味わうとやはりフランス牛肉はおいしいと認めざるを得ない。それでやや
値が張ってもおいしい牛肉を買いに来る人の集まる高級或いは種類豊富な肉屋
さんにはフランス牛肉が置いてあります。しかし、それでもよく考えると悔しい思い
でフランスから輸入するなら同じ位おいしい所から買えばいいじゃないかと言うこと
なのか、デンマークとかアルゼンチンなど各国からの輸入モノも多いです。やはり
豚は殆どドイツ国内産で満足だが牛はちょっとドイツのはね、と言うドイツ人も結構
いるということでしょう。

もう一つフランスの料理法も中々繊細で優れていると言う事実も多分ドイツ人は
認めざるを得ないのでしょうが、これはうまい逃げ手を考えています。それは料理法
をフランスだけに止めず、イタリアなんかも混ぜてしまって『地中海料理』などと
まとめてしまう。或る場合は中国や日本も引っ張り出され、ちょっと醤油がかかって
いたりして『オリジナル料理』だとか『インターナショナル料理』などと冠をつける
ようです。

§6 ドイツの暮らし文化 ― 住衣食の住 ― で述べたようにドイツの家庭では
中々魚を捌かない(捌けない)ためにスペインやポルトガルなどもフランスと似た
ようあもので家庭の料理として浸透すると言う事はあまり無くて、レストランで
楽しむ形になっています。
ここでトルコは特異な位置にいます。トルコは一時期政策的にドイツへの移民が
行われましたので300万人規模のトルコ人がドイツで暮らしています。しかし、
この政策はうまく行かず途中でストップされました。言葉の問題もあったのかドイツ
のトルコ人は中々社会の上層に食い込めず、下働き的な職業に固定された割合が
多くなってしまったためです。しかしこれだけ多くの人が居ますから食文化ももっと
浸透しても良さそうですがあまり融和は見られません。移民の失敗にも関連するかも
しれない1点がトルコは大部分がイスラム教で豚を食さないことです。上で述べた
ようにドイツは豚肉メインの文化なので互いに中々難しい面があります。そして魚
で言えばトルコも海の多い国なのでフランスやスペインと同様な事情で食は浸透
しないのかもしれません。
只、肉好きのドイツなのでトルコの肉料理であるケバブだけは広く社会に浸透して
います。この肉はトルコとドイツが妥協できる羊肉です。多くのケバブ屋さんが
方々にあり、気軽に食べれると言う意味ではイタリアンと覇を競っていると言える
でしょう。しかし、ケバブがドイツの家庭でもよく食べられているのか?となると
やや疑問です。まあ、作るのも面倒そうだし、多分ですが気軽な外食以上には浸透
していないでしょう。
他にヨーロッパ系ではギリシャの料理Gyros(ギュロス)と言う肉野菜炒めの
ような料理が割合浸透しています。家庭で作っているかどうかわかりませんが、
とにかくヨーロッパ系で家庭料理に浸透しているのは肉か肉料理と言うことでその
他は珍しい外食として食べるということのようです。

さてアジアです。ヨーロッパ料理でも上記のように『お客様』状態なので、アジア
の料理は大体が外食で珍しさを楽しむと言うことになっているのでしょう。
中華ー肉も魚も使います。魚は難しいとして肉料理は家庭に取り込めるかと言うと
中華は油を使ってフライパンで炒めるのが多いので、これは台所ピカピカ好きの
ドイツ家庭にとっては抵抗が大きそうです。そこで外食としての中華がメインになる
のですが、ドイツ中華の主流の店は当然ドイツ人の客も満足させようとします。
そのためか独特の味付けで炒めた料理を並べる店が多いのです。この味はどうも
私など日本人が慣れ親しんでいる中華でなく、何かSchnitzel(シュニッツェル)の
ソースと似た味のような...そして具材が変われどもこの味は同じと言うことに
なります。中華はビュッフェ形式が多いのですが、皿Aは牛肉とキャベツ、皿Bは
鶏肉とブロッコリーと言うように具材が違えど同じ味。勿論 EoEのレストラン紹介
ではこのパターンでない店を紹介しています。こういう店は大体が中国人がやって
おり、中国や日本の客がしっかり入っています。
インドはどうか?インド料理は海老などを使いますがどちらかと言うと肉主体です。
だからドイツと合いそうですが、やはり中心となるカレー臭はピカピカ台所には受け
入れ難いようで外食に止まっています。トルコはイスラム教で豚がダメでしたが
インドはヒンズー教で牛を食べません。それで牛肉カレーと言うのをドイツで食べ
たいとずっと思っていましたが叶わず。よく日本で『欧風カレー』とか銘打って牛肉
が入ったカレーを売っていますがあれは冷やし中華類似の日本の創作料理だろうか
と謎のままです。まあ、牛肉はダメでもドイツなんだから豚肉カレーはあるよねと
期待するのですがこれも不思議であまり見ません。どういう訳かよくあるのは鶏肉
カレーとラムカレー、そして魚或いは海老のカレーです。
次はタイ。ここはドイツの特殊友好国です。しかしやはりタイカレーとかインド類似
のどぎつい香りもあるので家庭に浸透しているかは疑問。特殊友好国だけあって
外食レストランの数はかなり多いです。お隣のフランス料理よりも多いのでは?
タイも肉での得意分野は鶏肉です。そして中華がビュッフェ主流なのに対し、
こちらはイタリアピザと同じくテイクアウトも結構やっていますので台所汚しを避
けて持ち帰る人が多いかもしれません。フランクフルト国際空港のエリアA領域
の地下にタイ料理のスタンドがありますがいつも混んでいます。隣にドイツのソー
セージなどを売る店もあるのですがいつもここはすきすき、タイ料理行列状態。
本国を抑え、特殊友好国の面目躍如です。

ベトナム、韓国も外食として頑張っているレストランはぽつぽつあり、アジア人の
私なんかから見ると中々良いじゃないかと思いますが、まだマイナーの領域は出ない
ようです。韓国の焼き肉なんかはとても素晴らしい肉料理と思いますが、やっぱり
薄くて柔らかいですからドイツの人は物足りないかもしれません。

そして日本。日本料理を支えているのは寿司です。まあ、ドイツに限らず欧州で広く
認められている日本料理はスシであり、幅広い人気があります。フランクフルトに
ある日本料理店でスシを出さない店は皆無ではないと思いますが珍しい。
そしてこれは魚の中でも鮮度とごはん炊きに加え握る技も入っており、たとえ台所
を汚す覚悟を決めたとしても通常の家庭でこなせるとは思えません、外食の代表で
しょう。

他にも日本には代表料理として天ぷらやすき焼きがあります。これらはどうか?
天ぷらはじっくりの揚げもの、ピカピカキッチンの敵です、外食の席へ行くしかない
でしょう。すき焼き、これは肉料理の代表でもあり、いいんじゃないかと思うのです
がどうもドイツの食文化とは合わないようです。
ポイントは2つあります。一つは肉の好みではないかと思います。上に何度も書き
ましたがドイツの牛肉は固くて分厚く、霜降りに代表される日本の脂でやや柔らかく
なった上等肉とは異なります。日本人から見ると何だか味気無いと思いますが逆に
ドイツ人は何て軟弱で頼り無い薄さなんだろうと思っているフシがあります。
まあ好みが違う訳で、しこしこ固いのを噛んでうま味をかみしめるのか、微妙で繊細
な肉のうまみを軽く味わうのかが違うのではないかと思います。
もう一つのポイントは基本になる味が醤油と言う発酵系の調味料である事です。
これは最も食文化を代表している、それ故に異なる食文化の人はかなり受け入れ難い
バリアになっている可能性があります。

ドイツですき焼きを流布させるにはシュニッツェルのソースに近い味付けでもっと
厚くて噛みごたえある肉を使う...しかしこれはどうもグラ―シュと言うハンガリー
発のスープに近づきそうです。スシがGlobal Brandを獲得したのは大変
喜ばしいのですが何とか次の日本発グローバル料理を決めたい所です。ドイツや
欧州で市民権を得て、できれば家庭に迄浸透する料理はすき焼きを変形して好みに
近づけるのが良いのか、新たなネタを発掘するのが良いのか。皆さんも上記の私の
分析を参考に考えてみられませんか?



§9 フランクフルトの冬 ― クリスマス、新年、カーニバル―

フランクフルトは緯度で言えば日本の北、樺太あたりに位置します。夏は大変すば
らしいのですが逆に冬は中々厳しい所です。
冬を感じるのは大体11月の半ばから後半でしょうか。ドイツは夏時間と冬時間が
あり、これが3月最後の日曜日と10月最後の日曜日の未明に切り替わります。
この10月最後の日曜日に夏時間が終わると昨日7時の自然環境が今日からは6時
と言う変わり方です。つまり、朝は夏の気持ちの良い朝から段々6時に起きてもま
だ暗い、ちょっと嫌な感じが昨日迄の7時の明けかけの空に戻るのでややほっとし
ます。一方で夜は6時で暗くなりかけて嫌だなとの昨日迄の感じが急にもう昨日の
7時の真っ暗に入ってしまうので更に夜が早く来るという現実に迫られます。
ここから更に冬至にかけて朝も再度明けるのがじりじり遅くなり、夜は暗くなるの
がどんどん早くなって明るい昼間が最も短い時で9時から4時位迄と言う暗くて寒
いドイツの冬へと入っていく訳です。11月に入るとどんよりした曇り日が増えて、
寒い年では後半には雪がちらついたりします。

クリスマスまで

さて、このような冬のドイツ、フランクフルトですが暗い季節を乗り切る仕組みが
いくつか用意されています。先ずクリスマスですが、いわゆるクリスマスの聖夜
前後のみならず12月に入ればそこはもうクリスマスの範囲、そう有名なクリスマ
スマーケットが各地でオープンします。大きな市の有名クリスマスマーケットから
小さな街のこじんまりしたものまで千差万別ですが、どこも伝統に彩られて地元の
人が誇りを持って盛り上げているのは同じです。

フランクフルトのクリスマスマーケットはやはりレーマー広場が中心です。
繁華街であるハウプトヴァッフェからこの広場にかけて店が出され、レーマー広場
ではぎっしりと立て込んで住民と観光客が入り混じって人出も最高になります。

皮製品や木製品のカバンや雑貨、それに装飾用品や食器などが並べられ、雰囲気の
あるマーケットで買い物が楽しめます。食べ物屋さんも色々出ますが、そこここに
香る独特の匂いは何でしょうか?それはGluhwein(グリューワイン)です。
最近は日本でも有名になってきてホットワインと呼ばれたりしてますが、赤ワイン
に香辛料などを混ぜて暖めたものです。ドイツのこの季節、底冷えするクリスマス
マーケットでこの飲み物は体を暖める必須アイテムと感じられるかもしれません。
クリスマスマーケットは暗くて寒くなった12月を逆手に取って盛りたてる仕掛け
であり観光ツアーも組まれていて十分有名なものです。マーケットとツアーの情報
は方々に溢れていますから探してみてください。

そしてクリスマス休暇、クリスマスイブ、クリスマスを迎えます。

ドイツのクリスマス休暇は正式には12月24,25日に前後を足した数日ですが
実際にはこれに有給休暇を加えて長期休暇にする人が多く、12月15日頃から
段々休む人が増えて新年迄は結構働いている人が減るのが実情です。
そして何と言ってもクリスマスイブは最大盛り上がり時であると共に最大の要注意
デーです。いや実際に2009年に経験したお話をしましょう。

この年、長男が会社の正月休みを利用してドイツに遊びに来ました。24日のイブ
の日、朝からハイデルベルグへのツアーに私と家内それに長男の3人で出かけまし
た。お城や街を見て昼食はハイデルベルグで済ませ、フランクフルト戻ってきたの
は2時頃でしょうか(フランクフルトーハイデルベルグは車で1時間です)、実は
結構多くの店がやっていたのです。クリスマスの買い物を楽しむ人で賑わっていま
した。これが勘違いの原因だったのですが、”何だ、今日はちゃんと店がやってい
るんだね”と言うことで一度我が家へ戻り、息子が噂のシュニッツェルを食べたい
と言うのでじゃあ今晩は街で食事をしようと5時頃に再度街へ出たのですが、ちょ
っと様子が違います。店が閉まり始めており、レストランも気軽に食べられそうな
所が次々に閉まっていきます。店員の若い女性に『今夜店は閉まるのか?』と聞い
たらちょっと呆れたような表情で『そうよ、今日は一体何の日と思ってるの?イブ
よ』と。ここでちょっと焦ってきて、上等そうなレストランに駆け込んでと思った
らどこもかしこも『今夜は予約で満員です』。
唯一可能性がありそうなのが街のど真ん中にあるマックですが、どうもここも店を
閉めかけの雰囲気も...絶望の返事を聞きたくも無いし、ここでマックにすると
一生息子から何を言われるかわからん、と聞きに行く勇気は無しです。
ここで家内が一泊だけ贅沢して泊ったことのあるフランクフルト随一のホテル、
Steigenberger Frankfurter Hofにコンシェルジュが居たから何とかしてくれと
駆け込もうとの名案(迷案?)を出しました。行ってみると確かに年配のコンシェ
ルジュ男性がにこやかな顔で『どうしましたか?』。そこでとにかく食事をしたい
のだとお願いしてみると『当ホテルにもレストランはいくつかあるので聞いてみま
しょう』とレストランに入って行き支配人と話してくれました。しかしやはり『今
夜は予約で満席でございます』。うーん遂に打つ手無し、飢えるよりはマックかと
覚悟を決めかけたらコンシェルジュ曰く『もしロビーの喫茶軽食コーナーで宜しけ
ればお席を用意します』。えっ、シュニッツェルなんてありますか?と聞くとにっ
こり『ございます』やった!お願いします ー コンシェルジュが椅子を整えてく
れました。

かくしてホテルのロビーにてシュニッツェル他のおいしい食事でめでたしとなった
のですが、いやあ高かったです。それでもイブの夜何とかドイツ滞在の親の面目を
保てて良かった。イブの夜はレストランへの予約必須です、この日はそういうレス
トランしか開いていません、気軽に食べれる所は無し(マックは未確認ですが)。
これが教訓です。そしてホテルのコンシェルジュはさすがである、困った時の駆け
込み先として記憶しておくべし、と言うのがもう一つの学習でした。

新年から1月 ー冬の真ん中へー

さて、クリスマスの後は新年です。ドイツでは元日は休暇ではありますが2日から
は通常勤務、どちらかと言うと長いクリスマス休暇の最後の日のイメージもあり、
新年は社会全体が2日から稼働します。
このように新年はあっさりしているのですが、実は大晦日だけは特別な日です。
どう特別かと言うとこの日の夜0時になって年が明けるとバンバンと花火が上がる
のです。これは街の中心、マイン川の河原が最も盛り上がりますが、郊外の町でも
同じように家族で若者グループで次々に花火を上げます。住んでいたSchwalbach
の街も例外ではなく、えっいつも静かなこの街の人がここ迄やるのか?と驚くほど
派手にやります。もう煙がもうもうと立ち込めてしまって...

実はこれには裏事情があります。ドイツでは大晦日夜(新年未明)だけ普通の市民
が花火を上げるのを許されているそうです。つまり日本のように夏の夜花火大会を
やろうーなんて事は許されていないのです。それで1年に1度のこの機会に皆爆発を
してしまうのですね。
マイン川の花火がよく見えるIntercontinetal Hotelの最上階には特別な席や部屋
が用意されますが結構な人気のようです。

さて新年の1月は静かな月です。寒さも厳しい冬のど真ん中と言えます。
フランクフルトの冬の天気と気温に関して少しコメントしましょう。

先に書いたように11月後半から冬が進み雪もちらつくという状況ですが、雪につ
いては実はフランクフルトでは一般にはそう雪は降りません。私も滞在する前に何
度も冬のフランクフルトを出張で訪ねていますが雪に合ったことはあまり記憶にあ
りません、雪があっても少し道路脇に溜まっていたり、ぱらぱらと雪が舞うという
印象です。
ところが実は滞在赴任した最初の2009年から2010年にかけての冬は異常に
雪が降りました。降り始めは11月半ばでしたが12月に入ると毎日のように雪、
それもかなりの積雪で毎晩20ー30センチ積ります。隣のベテランドイツ人から
『家の前の道路の雪かきはその家の責任、通行人が転んでけがをしないよう雪かき
をすること』と教えられていましたので朝出勤前にやるのですが、これが中々の大
仕事です。それに連日なのでかなりの運動と言うか労働と言うか...
最初は”結構よく降るね”と言っていた隣の主人も1月になっても途切れなく降る
のでそのうち疲れてきて”こんなに降るのは最近には無いこと、30年ぶりだ”と
宣告されました。フランクフルトも昔は雪が降ったが温暖化のせいかここ暫くは
大した雪は無かったそうです。
それでとにかく滞在初年に雪の苦労を全て経験する羽目になりました。

雪の苦労は雪かきだけではありません。先ず家の駐車場が玄関前空き地で屋根が無
かったのが失敗でした。家を借りたのは夏ですからこういう状況は想定しなかった
のです。その点雪国出身の日本人はしっかりチェックして屋根付き駐車場のある家
を借りていました。道路の雪かきの後、車の上やガラスの雪払いに又10分位は費
やすことになりました。
次に融雪剤に要注意なのです。ドイツでは有名なAutobahn(オートバーン、高速
道路)などを使用可能に保つために融雪剤を撒いて道の雪を溶かします。
最初に雪中で車を走らせた時ワイパーで雪を拭おうと動かしたら最初は良いのです
が、次第にフロントガラスがどんどん汚れて曇ってくるではありませんか。これは
まずいと思い、慌ててワイパー液も噴射して少しはましになりましたが危うく事故
になりそうな状況を何とか家迄辿り着きました。
会社の車係に聞くと『それは融雪剤を撒いているのでそれが撥ね上げた雪と一緒に
窓に積るためです。だからワイパー液をかけて落とさないといけません。しかし
ワイパー液は当然不凍液にしないと液も凍りついてもっとひどくなるよ』との忠告
を受けました。2009−2020の冬はあまりに雪が多かったのでこの不凍ワイパー液
がよく品切れになりました。ガソリンスタンドで見かけるとすぐに買い込んだもの
です。

さて、翌年の2010年はと言うとこれ又11月の終わり頃からどんどん雪が降り始め
ました。12月に入っても毎日のように降るので隣のドイツ人に『昨年は30年ぶり
の大雪と言っていたが私にとっては毎年の大雪だよ』と言うと『そうだな、普通
こんなには降らないんだが...』と首を傾げていました。
一番ひどかったのが12月17日金曜日です。この日は会社の日本人滞在者忘年会で
朝オーストリアから戻る予定が大雪でフライトキャンセル、鉄道の方へ回ったが
これも雪のため遅れに遅れて9時間かかり、昼頃出たのに店に着いたのが夜10時。
もう終わりかけの宴会を皆で何とか引き延ばしてくれていました。
これは今年の冬も道路雪かきと車の雪払いの重労働の日々と覚悟しました。

ところが年末から年明けにかけいきなり雪がパタッと無くなりました。それでも
又降るに違いないと疑いつつ過ごしたのですが年明け以降は本格的に雪の降った日
がありませんでした。その翌年2011−2012年の冬も少々降った日はありますが
合計で数日程度、深く積ることもありませんでした。
やはりこれが最近の平均と考えるべきで、2009−2010は異常だったのでしょう。
雪は以上のような感じですが1月頃の寒さはさすがに厳しい日が続きます。
大体−3度〜ー8度 ±5度と言う感じです。3年間滞在での最低気温はー17度でした。

結論から言えばフランクフルトの真冬はマイナス5度程度は覚悟した服装が必要で
雪は一般には多く無いが寒い地だけにいつ降ってもおかしくないと考えるべきと
言う所でしょうか。只、雪が降らなければ結構乾燥していることと、一般には風が
そう強くは無い(勿論時折強い日はありますが稀)ので服装の外部遮断がしっかり
していれば体感的にそう寒いという事はありません。そして屋内はしっかり集中
暖房が効いて20度にぴったり制御されています。
但し、ホテルにチェックインした後すぐにこの暖房(スチーム)がちゃんと作動
しているかバルブを開けてチェックした方が良いです。時折スチームがうまく動作
せず寒い目に遭った出張者がいますので。

カーニバル

2月もまだ寒いのですが少し動きが出ます。カーニバルです。
私はこのカーニバルの事はこちらに滞在する迄は知りませんでした。滞在後最初に
迎えた2010年2月初旬の日曜日、いつもは静かな街に何かどんちゃか、ぶんちゃかと
楽器の音、行進の音が聞こえます。外に出て音のする道角まで出てみると賑やかな
パレードが続いています。これが我が町シュバルバッハのカーニバルパレードだっ
た訳です。パレードする人たちは勿論、見物に集まる観客も思い思いに仮装をしたり
顔に色々塗りたくっています、これがカーニバルの流儀なのです。

大きな車のしつらえた台にに仮装した人が乗って”ハロー、ハロー”と呼びかけな
がら時折お菓子をばら撒きます。子供たちも親も競ってこれを集めています。
この車の後には中学生くらいの女の子の鼓笛隊、消防おじさんたちの鼓笛隊、古い
車の愛好者たちの車パレード、馬の連体、などなど延々50チーム位が続きます。
この日は我が町でしたが翌週は隣町エシボーンでした。このようにドイツ中の各街
でパレードが行われるようです。
但し、クリスマスマーケットと同じく有名所のパレードと言うのがあってフランク
フルト近辺のライン川沿いではマインツ、ケルン、デュッセルドルフあたりが有名
なようです。

Carnival1

Schwalbachの街のパレード、日本の山車相当の車が行進


Carnival2

Schwalbach住民のパレードは延々と続く


Carnival3

Schwalbachの立派な白馬も行進



只、注意すべきはその開催日程でしょう。実はこのお祭りは毎年いつやるかが変り
ます。何故かと言うとこれはイースターに連動しているのですがイースター自体、
年によって変わるからです。Wikipediaによると『復活祭は基本的に「春分の日の
後の最初の満月の次の日曜日」に祝われる、年によって日付が変わる移動祝日』と
あります。そしてカーニバルはと言うと『復活祭(イースター)の46日前(平日
40日と6回の日曜)が "Fastenzeit"(断食期間)の初日である"Aschermittwoch"
(灰の水曜日)です。カーニバルのお祭りが行われるのはその前の6日間で、
"Weiberfastnacht"(木曜日)から"Fastnacht"(火曜日)です』とありますが更に
『実際にはカーニバルの幕開けはその数ヶ月前の11月11日11時11分で、カーニバル
の締めくくりはFastenzeitの初日であるAschenmittwochです。』と書かれると全く
いつだか難し過ぎます。
まあ、さすがに11月11日からずっとカーニバルをやっている訳にも行かないので
これは形式だけで、実際は『イースターから46日前の水曜日の前の木曜日から火曜
日の6日間』でしょう。
そしてこの期間の月曜日がバラの月曜日(Rosenmontag)と呼ばれ、大規模なパレー
ドが行われ、愉快な仮装をしたり、伝統的な民族衣装や仮面をつけてパーティーや
パレードを楽しむと言うことのようです。
因みに2013年のイースターは3月30日、灰の水曜日が2月13日なのでパレードのある
バラの月曜日は2月11日です。2014年のイースターは4月20日、灰の水曜日が3月5日
なのでパレードのあるバラの月曜日は3月3日です。年によってかなり違いがある
のが実感されるでしょう。

このように本来月曜が大パレードなのですがさすがに普通は皆働きに出ますから、
我が町では皆がお休みの日曜にパレードをやったのですね。
こういう事情がよくわかっていなかったので翌年パレードでも有名なのを見に行こ
うと家内と二人でマインツに出かけました。マインツはフランクフルトに近く、
車で30分もあれば着きますし電車でもライン対岸の駅から歩いて橋を渡れば着き
ます。家に配られた広告にドイツ語で『日曜日、パレード』と書いてあったのを目
にしたので”マインツのパレードは有名だそうだから行こう”と出かけました。
マインツの街でパレードが始まるには始まったのですが、どうも次々に繰り出され
るチームが子供が殆どなのです。『最初は子供から始まるんだね』と言いつつ、い
つまで待っても子供ばかり、そのうち終わってしまいました。
あれ?と周りのドイツ人に拙いドイツ語混ざりの英語で聞くとどうも本番パレード
はやはり翌日月曜日であり、日曜パレードは地元の親子向けの練習パレードだった
ようです、広告のドイツ語をもっとちゃんと読んでいれば良かった訳です。
まあ、有名所のパレードは観光客も一杯来るでしょうから我が町と違ってちゃんと
本来のバラの月曜にやるのでしょう。しかし少し小さい所とか有名所でも地元の人
も多く集めようと日曜にやる所もあるかもしれません。
観光ツアーで組み込まれて行く場合は大丈夫でしょうが、自分で計画されて行く時
にはこのあたりを注意してよくチェックして外さないようにしてください。

Carnival4

マインツのカーニバルはさすがに山車も見物も本格派




§10 ドイツの交通 − 車と電車 ー


車社会ドイツ

ドイツが名だたる車社会である事は間違いありません。ドイツ人はメカが好きな上
に狩猟民族の血が騒ぐのか馬を駆るように車を疾走させて満足を得るのです。

有名なAutobahn(アウトバーン)は速度無制限ですから若い頃からこういう運転に
慣れており平気で時速200Km以上を出します。一度運転が得意なドイツ人の助手
席に座ってドライブしましたら彼は追い越し車線を250Km位でビューンと飛ばします。
前にいる車も200Km位は出ていて決して遅くは無いのですがさすがにすぐ追いつい
てしまいます。そうして追突しかけのぎりぎり迄迫ってスピードダウン。前の車が
慌てて右へ避けます。すると追い抜いて又猛スピードで次の車に迫ると言う具合。
『ひょっとして楽しんでやってるの?』と聞くとニヤとして『俺の趣味さ、長時間
運転は退屈だからね』ときました。
しかし、こういう達人は250Kmを出しても安定していて不安を感じません。
やはり人種が違うのか年季の入り方が違うのか...

それともう一つ大きな”人種的”違いを感じるのが視覚です。ドイツは大都会付近
はとにかく郊外へ出ると高速道や自動車専用道に街灯はありません、真っ暗です。
ところが彼らは殆ど気にせず相変わらずの猛スピードで走ります。どうも暗い所で
も日本人とは違い視覚がよく効くようです。

一度私の会社に監査にやってきていたドイツ人が部屋に閉じこもって書類を見る
仕事をしていましたが夕方で暗くなっているのに暗いままの部屋で作業しています。
クライアントの会社だから遠慮しているんだろうと通りがかりに『暗いでしょう、蛍
光灯の明りをつけましょう』とスイッチを入れようとしたら『いや十分見えるか
らこれでいい、遠慮している訳では無い』と断られました。どうも暗さには滅法強
い。しかし、その逆として明るさには弱いのです。特にドイツは緯度が高いので陽
光が低い角度で射すことも多く、この明るさには滅法弱い、だから多くのドイツ人
がサングラスを携行しており常用しています。

猛スピード運転が好きなドイツ人ですが運転マナーについては世界一良いのではな
いかと思います。とにかく私がドイツで横断歩道のマークにさしかかった時に自動
車が停止してくれなかった事は一度もありません。日本ではちょっと油断すると平
気で横断歩道の停止をせずに通る車が多く、ドイツの感覚でいると恐怖を感じてし
まいます。他にも駐車や車庫出し等折に触れて親切な運転マナーを感じる事が多く
ありました。

駐車場と言えば特にフランクフルト都心の駐車場は図体の大きな車が多いのに比し
て大変狭く窮屈で、最初停めるのに苦労しました。他の車や横壁にこすってしまっ
た事もあります。
路上の並列駐車をはじめこういう狭い所ぎりぎりにうまく停めるのもカー野郎の誇
りのようで、確かに腕の良いのが多いのですがこちらは慣れぬ大型車で戦々恐々。
結局実は一番賑やかなHauptwache(ハウプトヴァヘ)のゲーテ広場下にある駐車場
が一番余裕があって停めやすいのでそこを常用することになりました。

ドイツが車社会になった理由は勿論自動車の発明者の国であり、自動車やメカが大好
きであるからですが、それ以外に社会的な背景も一因だと思います。
それはビジネスの世界ではドイツの会社が結構分散して存在するため、仕事でそこ
を訪問するには最後は車になる事が多い事です。大きな町に集中して駅前からタク
シーを飛ばせばつける日本とは違い、結構な田舎に重要な会社が点在しています。
ここを訪問して商談するには車しかありません。それでカンパニーカー制度もでき
て車が業務活動に必要な道具として位置着けられています。

一方で生活者の面でも車社会になる背景があります。これはやはりドイツが平地が
多いこともあって広い国土に分散型で居住しているため §1 ドイツ着、生活スタート
で書いたように人がモノの方へ動く大型SCかモノが人の集まる場所へ動く”市=
マーケット”が必要なのです。
前者の場合当然車で大型SCへ行く必要があります。しかし、後者の”市(いち)”
に出かけるのも意外と大変でやはり小型でも車が必要になるのです。何故かと
言うと市(いち)の立つ場所迄も結構距離は遠いと言う現実と、かなり高い確率で
その行程には坂があると言う現実のためです。
ドイツは日本のような険しい山が少なく(南部アルプス近くなど僅か)、人の暮ら
せる平地が多いと言うのは事実でしょう。日本とドイツの国土はほぼ同じですが
私はこの面積がドイツは日本の3倍あるため国土依存の農業酪農などのコストは約
3分の1になっている説を取っています。乳製品などに当てはまると思っています。

この思いつき私説の真偽はともかく、ここで注目すべきは人が暮らせる程度の”なだら
か”な丘のような地は多いが逆に決して真っ平らではない地も多いと言うことです。
褶曲地層が多いからか人が住んでいる地にも所謂坂道は結構多く、例えば自転車で
スイスイとは行かない土地が多いのです。このため(そして多分寒冷地のため)ド
イツの自転車はどちらかと言うとスポーツの側面が強く、アジアやオランダの町の
ような人や荷物の運搬イメージは余程の都心以外は少ない(余程の都心が少ないと
も言えます)。

つまり市(いち)に出かける人も自分と荷物の運搬は車でやるしかない訳で、車は
こういう用途では自転車代わりに必要なのです。高速道路を新幹線速度で飛ばすビ
ジネスマンに対し、郊外の町や村ではお年寄りが小型車で平然とゆっくり走ってい
ます。しかし、結構田舎道でも2車線を確保し追い越しを可能にしてバラエティに
富んだ車通行を可能とする行政、そして250Kmの高級車と同時にお買いもの小型車
も用意する自動車会社。これらの共存を大切にしてマナーを守るユーザー。
これらが車社会と言うことでしょうか。

ドイツの電車 − 都会のS,U ー

上記のとおりドイツは車社会です。滞在前に何度も出張した時を含めドイツを動く
時は飛行機と車が殆どだったので、ドイツの電車関係と言うのは殆ど知識がありま
せんでした。滞在後も暫くは専ら車依存の生活を送りました。

しかし実際にここで暮らすと段々とドイツの電車と言うものにも親しむ機会が増え
ます。それを牽引したのが実は”お酒問題”でした。
先ず車ですと基本的にはお酒が飲めません。ドイツでも勿論飲酒運転への規制、
罰則はありますが日本程は厳しくありません。しかし日本からの駐在員と言う立場
ですとどうしても何かコトが起きてしまった場合に日本の基準でどうだったかが
気になるもので、中々ドイツだから飲んで運転とは行きません。従ってどうしても
車を運転するとお酒は無しか乾杯の最初の小グラスだけというように限られます。

因みにドイツ人はどうか?と言うと先ず彼らはお酒に強いのであまり酩酊しません
(勿論弱い人も飲めない人もいますが一般論として)。同時に結構自制力があり、
自分の限界を知っていてそれ以上は飲まないようにしているようですし、同席の人
が無理やり飲ませる事も無いようで、個人責任の大人の世界です。

日本人の我々は酒にもそう強く無い割には結構付和雷同で飲んでしまい、同時に
遠く離れた異国でも日本の強力な規制を気にしながら飲む訳ですから最も簡単に
このストレスを逃れておいしく酒を飲むには”車を使わない”ことです。それで
自ずから電車に親しくなります。

お酒を気にしないための交通機関である電車は郊外の自宅と都心を結ぶ電車で
これは先に 【Frankfurtトポロジカルスケッチ】 で案内したS(S-Bahn),U(U-Bahn)
があります。
これを活用してみると車社会ドイツも都心とその郊外ではしっかり電車を走らせて
いることがわかってきました。
ドイツのS,U電車の特徴は改札が無いことです。改札口が無いのでいきなり電車
にとび乗れます。しかしご用心、改札が無いかわりに社内で時々検札があります。
検札に引っかかって、その時然るべき切符を所持していないと罰金40ユーロを徴収
されます。(ユーロ100円時に4000円)。この検札係ですが普通はDB(ドイツ鉄道)
の制服を着ています。しかし、私服のこともあって、乗客とばかり思っていた隣の
おじさんがいきなりさっと立ち上がってDBの身分証明書を示しながら『切符の提示
をお願いします』とそのあたりの人の検札を始めたりします。
そしてこの検札係は妥協しません。いやうっかりとか、アッしまったと色々言い訳
してもガンとして聞かず40ユーロを払わせます。その理由としては聞く所による
と確信犯がいるからとか。つまり検札に見つかったら40ユーロ払えばいいと考え
最初から切符は買わない客です。こういうのを検札の度に見逃してしますと確かに
商売上がったりです。

どの位の頻度で検札に来るか、数か月かけて自分の乗車時の実績で測ってみました。
そしてそれに自分の使用ルートの平均運賃をかけてみると何とぴったり40ユーロ!
DBもしっかり調べているのです。S-Bahnで何回かインタビューにあいました。
最初検札が来たのかと思ったのですがそうではなくて専用調査マンでした。どこか
ら乗ってどこへ行くのかとか週何回程度電車を使うか?とか5分程度かけてインタ
ビューをします。これを元にどこでどの位の頻度で検札するか決めているのでしょう。

このシステムで最も困るのは切符を買う時間が無い場合です。郊外のSの駅などで
は15分とか30分位に1本しか無いケースもあるので1本見逃すと大きく遅れて
しまいます。それで駅に着いて電車がサーとホームに来ると飛び乗りたい所ですが
これをやると検札に引っかかった時にアウトです。そこで時間に余裕を持って家を
出るのですが、この切符販売機が壊れていたり学生が列をなしていたり様々な障害
が発生するのです。そして切符を買おうと自販機に向かってからも大変です。先ず
画面操作が中々難しい。慣れない旅行者などだと結構苦労するだろうなと思います。
画面操作がうまく行ってさあお金を入れようとすると細かいのが無い。そう、自販
機は10ユーロ以下しか受け付けませんからこれで買える金額を揃えていないとい
くら20ユーロ札を持っていてもアウトです。乗り越しと言うのが許されていれば
とりあえずの小銭で切符を買って途中で社内精算が可能ですがこれを許すと意図的
に常に最低料金切符で動き、検札に合った場合だけ追加料金を払うのを許すことに
なるのでダメなのです。かくしてドイツの電車は中々シビアではあります。

空港駅から中央駅に向かった電車でのことです。発車してすぐに乗り込んだ検札マ
ンが検札を始めました。そこにアメリカあたりから遊びに来たらしい若者の一団が
いて楽しそうにお喋りしていました。検札が着ても無邪気にハイと見せたのですが
どうも隣駅迄だけの間違った切符を買ったようです。もう隣駅は発車してしまいま
したから乗り越し状態です。
検札マンが『これは違う、罰金40ユーロだ』と多分言ったのでしょう。いきなり
そこで大騒ぎになりました。多分正当な切符が6ユーロ位の所をお金が無いとかで
とりあえず隣駅迄5ユーロの切符を買って動き始めたというようなケースです。
アメリカの若者は”乗り越し料金”1ユーロを払えばいいと思ったのでしょう。日
本人もそう考えます。しかしドイツでは上記のとおり乗り越しと言う考えは許され
ていません。検札マンはガンとして譲らず、若者達はそんなバカなと言い合ってい
るようです。中央駅が近づきますが互いの言い分が平行線で膠着状態、気まずい雰
囲気が漂います。まあ規則はわかるが、この場合どう見ても初めてドイツにやって
きた若者で検札システムのことも知らずに一生懸命移動しようとしただけなので見
逃してやれば?と傍からは思います。折角の旅行の最初から40ユーロをふんだく
っても折角来たドイツの印象が悪くなるだけで何の得にもならないのに...と。

ここでもう一人ベテランらしい検札マンがやってきて頑張っている検札マンとドイ
ツ語で会話を始めました。そして暫くして若者達に何か提案して妥協が成立し
たようです。多分若者達はユーロが無くなって払えないので中央駅到着後にお金を
引出して追加料金を払うようなことで例外扱いしたのでしょう。中央駅で検札マン
と若者達は連れ立って精算に向かいました。まあやれやれですが例外扱いを見たの
はこれだけです。後は何回か大もめの光景を見ましたが検札マンは譲らずしっかり
40ユーロを徴収していました。

さてこういうトラブルを避け、かつお得にS,Uを利用するには1日チケットを活
用することです。1日切符は英語でDay Ticket,ドイツ語ではTages Karteと呼び
ます。都心専用でも郊外と都心でも往復する運賃より少し高いだけで、1回乗り換
えなどを使うともう得になるように設定されています。切符を買う手間や小銭が残
っているかなどを気にしなくてもいいですから通常はこれを使うのが正解です。
このチケットはS,Uと並んでフランクフルトのもう一つの交通網であるトラム
(路面電車)にも乗れます。
トラムは路線がやや複雑ですが情報をきちんと手に入れれば中々便利です。路面電
車なのでゆるゆる遅いだろうと思うとさにあらず、スピード好きドイツの面目躍如
で結構なスピードで走ります、このスピード確保のためにこの公共交通を優先する
信号とかのシステムがしっかりできています。

一人向け1日切符の他に団体向けのものがあり、これは5人迄用とかなっていても
2人で使っても動きまわれば十分お得です。こういうお得切符は結構色々用意され
ていますから人数、行動に合ったものを探すと良いでしょう。
このあたりは 【Frankfurt情報と物語】 の章で紹介した交通情報サイト
をご覧になって探求ください。

ドイツの電車 − 新幹線 ー

お酒問題から車社会ドイツでも親しくなった都心のS,U電車ですが遠距離の場合
はどうでしょうか?
S,Uより長い距離の電車にはローカルの遠距離(中距離)電車などもフランクフ
ルトをはじめ都市間を結んで運行されています。しかし、滞在して車を使っていた
筆者としてはこういう中距離こそ最も車を活用して動いた場所でしす。従って実は
残念ながら中距離電車には殆ど乗りませんでした。
一方で自動車でも行けるが段々と運転も大変になってくる距離にはドイツでも新幹
線が走っています。これはビジネスに旅行にと随分活用しました。

ドイツの高速鉄道は路線の分類とそこを走る列車の分類の2通りがあります。これ
は元々古くてそれ程スピードを出せない区間もあり、そこでは最新列車もこの路線
の線路能力に応じた速度に落とさざるを得ません。日本のように新幹線の線路を新
幹線の専用列車だけが走るという方式では無いので、このように路線の線路能力と
列車を分けているのです。
列車はIC(Intercity)が少し前の高速電車で最高時速200Km/h、最新のICE
(Intercity Express)が最高時速250Km/hで日本の新幹線車両相当です。
尚、このICEは高速性と内装デザインなどで人気があって、車社会のドイツで電車
贔屓を取り戻した原動力と言われています。この他に欧州は国境が地続きですから
これを跨いで走るEurocityなどの国際電車もあります。一方の路線線路ですが3種
類程あってSFS (Schnellfahrstrecke)は高速走行路線の意味で、高速新線・在来線
を含め高速運転が可能な路線を示します。高速運転とは160km/hないし200km/以上
での運転を意味します。NBS (Neubaustrecke)は新造路線の意味で高速新線のこと
で、250km/h以上の走行を可能にします。最後にABS (Ausbaustrecke)は再造路線の
意味で。在来線改良によってある程度の高速運転を可能にした路線のことです。
ICEがNBSを走る路線は間違い無く新幹線と言えますが、遠距離ですと全区間がNBSと
言う訳には行かず、どこかでSFSが入ってきます。
その中でも比較的ICE-NBSが長い区間走るのがケルンーフランクフルトのーミュンヘン
と続く路線です。ベルリンへ向かう路線は旧東ドイツのインフラの遅れが響いてい
るのか比較的NBS,SFSが少ないためやや遅めの電車区間の印象です。
筆者はフランクフルト拠点で活動したのでこの高速鉄道の恩恵にあずかれました。

遠距離のビジネス旅行で車を使おうか新幹線を使おうか或いは飛行機にするかの選
択には一長一短があります。例えばフランクフルトからミュンヘンに移動する場合
飛行機を使うメリットは乗車時間が短いことです。但しコストは車や新幹線に比べ
高くつきますし、所要時間はそれ程変わりません。

何故所要時間が変わらないかと言うと空港から目的地が概して離れており、飛行機
に乗っている時間は短くても着いてから先で時間を食います。更に飛行機の場合、
空港には或る程度余裕を持って入らねばなりません。特にフランクフルトのような
大空港はセキュリティが全員共通のため運が悪いと大変に時間がかかります。
一度時間余裕無しで空港に入り、何とかチェックインを済ませてさあ大丈夫とセキュ
リティへ進んだ所大混雑。これじゃ乗り遅れると焦って整理に当たっていた空港職
員に切符を見せてかけあったがガンとして受け付けず。じりじりしながらセキュリ
ティを終えてさあゲートは?と見るとA60だか何だかとにかくこういう時に限っ
て一番離れたゲート。そうこの空港はでかいので端のゲートだとゆうに15分かか
るのです!これらを考慮すると1時間前に空港到着は最低条件です。

そうすると例えばミュンヘンの場合、もし目的地が市内だと飛行機で離陸空港で1
時間、フライト1時間、空港から市内へ1時間と3時間。新幹線は市内から市内へ
3時間ですから同じで、車の場合も飛ばし屋のドイツ人ですと3時間余りで着きま
すからやはり同様と言う訳です。

では車との比較はどうかと言うと、車のメリットは何人かで移動する場合に出てく
ると思います。確かに移動コストは車が若干安いでしょうが、一人だとそれ程メリ
ットを感じないレベルで、ずっと運転をしていなくてはなりません。一方複数だと
乗員増加程にはコストは増加せずコストメリットが十分出る上に運転を交代すれば
まあ書き物は無理でも書類をチェックしたり電話したりできます。
一人の場合はコスト差もそうなく、移動時間を自由に使える新幹線の方が適してい
ると思われます。それでも実際は特に営業マンは車を使いたがります。
それはとにかく出発する時も、着いてから後での移動も、急激に変更される場所や
訪問先にも公共交通と違ってとにかく自分の責任と行動で対応できると言うのが大
きな理由と思われますが、結局ドイツ人は車好きなんだよと言う人もいます。

私の場合は一人で定まった場所へ行くには上記合理性から結構新幹線も使いました
のでここではその様子について紹介してみましょう。

列車の運行ですがこれはちょっと波があります。実はどういう訳か私が乗った電車
の時間は殆ど狂ったことはありません。それでも5分程度は遅れたりしたので、や
はり日本のJR、新幹線はとても優秀だなあと感じました。ところが家内の乗った
電車は軒並み遅れると言うのです。大体30分とか1時間近くです。私がビジネス
関係で動くため朝夕が多く、家内は友人の所へとか昼間が多いのでそのせいかな?
とか言いつつ休日に家内と一緒に乗った昼間の電車は遅れなかったので私は電車が
遅れぬツキ男と崇められたのですが。

このツキの理由は不明ですが、ドイツのICEが遅れるのには理由があります。
勿論天候などは仕方無いでしょうが、上で説明したように日本の新幹線が完全に専
用化されて列車も線路も新幹線専用なのに対しドイツは列車は新幹線能力を持って
いても線路が旧システムとの相乗り部分がありますからその影響を受けざるを得な
い面があります。しかし、概して日本程正確でないにしても大体は10分程度の遅
れに押さえられて運行と言うのが私の印象でした(家内のように不運な乗客もいる
かもしれませんが)。

次に座席の予約ですがこれは大きな駅ですと大体DBの切符売り場がありますから
そこで買えば確実です。そしてこの座席予約についてはかなりいい加減な所もある
ので要注意です。いい加減と言うのはシステムの方ではなく乗客の方です。堂々た
る個人主義故かどうかわかりませんが、予約などとは無関係に座っている輩が結構
います。そう、このICEの2等の座席は日本のように自由席車両と指定席車両に
分かれているのではなく基本が自由席であり、指定席があるとその中に割り当てら
れるだけです。割り当てられると一応その席の壁にある小さな表示器にFrankfurt-
Munichと言うように指定された旨の表示が出ますが、これが大変小さく読み難い。
そして何よりそこに腰かけてしまっているドイツのおじさん、おばさんがここが指
定席と言う認識を持たずにどっしり構えてしまっているのでどうもここが自分が指
定した席だろうかと自信を失ってしまいます。
しかしここで負けてはいけません、しっかり切符を見せて追い払う位の気力でここ
は私の席であると主張しないと永遠に座れません。

一度フランクフルトからパリに向かう国際電車Eurocityなるものに乗りました。
これは仕事の出張でなく遊びに行ったのです。この場合は家内と二人でしたが家内
は運転しないためずっと私の運転になってしまうのでせっかく遊びに行くならのん
びり行こうと。で、この電車で指定席に座っていたのですが隣の席にはアラブ系の
出で立ちをした紳士3人がサンドイッチを頬張っています。フランクフルトの次、
マンハイムでしたでしょうか、おばさんと若い女性の2人連れが乗ってきました。
そのアラブ系の3人の席で何か主張しています。おそらく自分達が取った指定席だ
と言っているのでしょう。3人はフランス語しか喋らないのかよくわからん、とに
かくここは俺達が座っているのだから俺達の席だと言うようにどっしり構えて動き
ません。二人の女性は言葉も通じないし困ってしまいました。
ここで近くに座っていた青年が助け舟を出しました。この人はドイツ語とフランス
語が両方できるようでとにかく切符を見せながらこの電車の仕組みから始めてここ
が二人の女性が座る正当な権利のある席である事を説明したようです。
長々とやり合った後漸くアラブ系3人は席を立って他の席を探しに行きました。
二人は青年にお礼を述べてやっと座ることができ、懸念しつつ見ていた我々にも肩
をすくめつつ『とんでもない連中だったわ!』とのアピールでした。

こういう例が結構ありますので座席指定した場合も戦う覚悟で座りに行く必要があ
ります。

座席指定を気にしていない乗客の場合はこういう不愉快例も出ますが、乗客のマナ
ーは概して良好であり友好的です。列車の中での体験した様子を説明しましょう。

列車の内装は中々スマートでコンパートメント型の部屋とテーブル付きの座席が私
のお気に入りでした。コンパートメントは隔離された部屋で6人程が座れます。
団体や家族で使えますが、空いていれば一人でも入って座ればいいのです。一杯の
場合はちょっと窮屈な感じもありますがこれが最低条件であり、結構満席のケース
は稀で2−3人しか腰かけていない場合が多いので割合広々と落ち着いて座れます。
テーブル付きの席は1両の両端近くに1つずつありますがテーブルを挟んで2人ず
つ計4人が座れます。このテーブルは割合広いのでパソコンを広げたりノートを置い
て事務作業が十分できます。又、ドイツの色々な人間がここで色々なものを広げて
作業するのでとても興味深い観察ができます。勿論ドイツの人も日本人が持ってい
る本屋電子辞書やケータイ電話などに興味深深の様子で英語が話せる人だとああだ
こうだと楽しいコミュニケーションの時間になったこともあります。

英語と言えばICEなんかは新幹線同様海外訪問者も意識した列車ですからドイツ
語の放送の後英語でも一応説明が流れます。しかし概して英語放送は単純であまり
説明はありません。フランクフルト到着が15分程遅れたICEのコンパートメント
に乗っていた時のこと、多分遅れの原因とかこの遅れにより乗り継ぎがどうなる、
と言うような結構細々とした事をドイツ語で長々と説明していました。そしてその
後、英語で放送が始まったのでさあどうなったんだろうか?と耳をそばだてた所、
『もうすぐフランクフルト中央駅到着です』で終わり。えっドイツ語であんなに色
々と言ったのにこれでもう終わり?と驚いた私にさすがにその場にいたドイツ人全
員も爆笑、これは無いよな、と英語が話せる人が親切にかいつまんで教えてくれま
した。

最後に置き引きにご用心!の話。
実際に家内がデュッセルドルフへ行って帰りの話。ケルンの駅で2人かけの席の窓
側に座り、カバンを通路側に置いていました。ケルン発車の直前迄特に異常は無く
ちょっと窓の外を見たりしてふと視線を戻すとあっと言う間にカバンが消失!慌て
て通路に出てドアの方に駆け寄るも目の前でドアはばたんと閉まり発車。
そう、置き引きは大体このように発車直前の電車からさっと荷物をさらって閉まる
寸前にホームへ飛び出します。後で聞いた話ですがケルンは大きな乗換駅でもあり
こういう置き引きが最も多いとか。
列車内の車掌さんにアピールはしたものの状況から言うともうどうしようもなく、
被害届を出して警察に依頼するしかないと。

カバンの中にはクレディットカード、携帯電話、財布、カメラ、書類が入っていま
した。とにかくクレディットカードの出金停止を慌てて依頼、警察にはとりあえず
説明して簡単な届は出しましたが詳しい事情聴取は後日と言うことに。
財布の中に家の鍵が入っていたのでドアの鍵も取り換える羽目に。鍵だけ取られた
のならどこの家かわからないの筈なのですが財布に住所を覚えでメモしていたので
やはり気持ちが悪い訳です。

さてこの話を聞いた滞在の長い日本夫人が曰く、やはりドイツではこういう被害も
あるから油断はできない(最近は日本でも同様?)。とにかくカバンは紐を肩か
にかけておいていわゆる引ったくりが持って行こうとした時に防ぐ持ち方が基本で
あると。そこで次からS-Bahnに乗った際によく観察すると確かに全員、必ず膝の上
にカバンを置き、その持ち手を腕にしっかり通していました。やっぱり盗難に対し
てかなり甘い姿勢だったんですね。

ところでこのカバン、数日後に落し物としてDBから連絡が入り出てきました。中
身はと言うと財布の現金とカメラが無くなっていましたが他はクレディットカード
含めそのままです。変な足がつく危険は冒さず確実に流せるものを盗ったのでしょ
う。まあ落し物で戻すなど泥棒としては良心的方?
しかし現金のカメラも仕方無いとして、カメラの中のカードに収納された画像は泥
棒氏には価値は無く、我々には思い出の写真でした、せめてカードを抜いてカメラ
だけを盗ってくれればと思ったももですがこんなことに気を回す程だと泥棒なんて
いないでしょうね、貴重な思い出も消失の憂き目に。要注意です。

本章の終わりに鉄道に関する話題一つ。首都ベルリンは政治と芸術の都であり、ビ
ジネスはあまり無かったので行く機会が少なかったのですが一度半日程を過ごす機
会がありました。ここでふらふらと街を見た末に気まぐれに寄ったのがDeutsches
Technikmuseum Berlin(ドイツ科学技術博物館)です。
ここに展示された鉄道の歴史をたどる膨大な実際の車両展示には圧倒されるものが
ありました。本当の鉄道好きの方ならきっと大きな感動と興奮は間違いありません。
サイトは 科学技術博物館 です。



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