Essence of Europe
東南イタリア訪問記

筆者の勤務していた会社がFrankfurt郊外であったので私は3年間Frankfurt郊外
で生活をしました(詳細は Frankfurt滞在記 へ)。ここでの隣人の奥さんがイタリア
出身で、遊びに行くとそのご自慢を聞かされたものです。
丁度私達がフィレンッェへの旅行を計画していましたが、それを聞いて『フィレンッェ
は観光地で混んでいて物価が高いだけ、私の郷里の方がすばらしいのよ』と強い
郷土愛を披露していました。その郷土はアドリア海に向かった地でイタリア長靴
半島を挟んでRomeの丁度裏側になるそうです。ご主人はドイツ人ですがアメリカ
本社のグローバル会社に就職、研究所のあったPescaraに時々出張していて今の
奥さんに出会ったようです。
そこでどんな所かな?と興味を持ちましたが手元にあった日本の旅ガイドには載って
いません。日本に戻った時に色々当たってみましたがこの地域のことを詳しく書い
たり紹介する本にはお目にかかれませんでした。
しかし地図で見るとアドレア海は勿論山側には国立公園もありとても良さそうです。
いつかこの地を訪れて実際に体験、調査してみたいものだと思っていました。

そしてチャンスは訪れました。このEoEサイトに載せるFrankfurtの名産品として
白ワインを販売することにしたのですがワインを扱うなら赤も同時に紹介したい
ものだと友人に話した所イタリア人のご主人がワイナリーをやっていると言う夫人
を紹介頂きました。
このワイナリーが何とPescaraのすぐ傍と言うではありませんか。早速8月下旬に
そのワイナリーを訪問させて頂き、同時に彼の紹介されざる東南イタリアを見て
回ろうと思い立ちました。以下はその初めての東南イタリア訪問記です。


目次
§1 FrankfurtからPescaraへ
§2 Pescara初日
§3 Pescara2日目 Vasto
§4 Pescara2日目 Olive Oil Museum
§5 Pescara3日目 Cさん一家のワイナリー
§6 PescaraからViesteの筈が −大失敗の4日目ー
§7 世界遺産Castel del Monte経由でBariへ
§8 Bariを拠点に南イタリアを巡る
§9 BariからPescaraへ、そしてFrankfurtへ

1.FrankfurtからPescaraへ


友人から紹介頂いたCさん夫妻はご主人がイタリアのPescara地域出身、奥様が
ポーランドの出身とのことです。お二人はドイツで出会い、結婚されて1992年生まれの
息子さんがおられます。
ご主人は元々のイタリアのワイナリーを継ぐべき人でイタリアへ戻り、奥さんと息子さんは
ドイツで生活を続けられました。2012年秋から息子さんのPescara大学入学が
決まり息子さんもイタリアへ。奥様はもう少しドイツで働かれるようです。
こうしてドイツとイタリアに分かれていても実は大変簡単に行き来できるのです。
それは2000年、21世紀に入って飛び始めたRyan Airが可能としました。

ではRyan AirとHahn空港について少しお話しましょう。

Frankfurtはドイツのみならず欧州のハブとなっているAm Mainの国際空港で
有名ですが、都心から2時間弱、Hahn(ハーン)と言う町にもう一つ空港があります。
このHahn空港がRyan Airが拠点にしている空港です。
Hahn空港へはFrankfurtのHauptbahnhof(中央駅)横から定期バスが
運行されています。詳細は次のサイト Hahn空港への交通 をご覧頂ければ
いいのですが1〜2時間に1本程度それも深夜や早朝も運行しています。
このサイトを見ますとFrankfurtのみならず、例えば結構遠地のKoelnとの
バスも運行されています。

さて、この空港を拠点とする Ryan Air ですがいわゆる格安航空の草分けとして有名です。
Ryan AirはFrankfurtではHahnを拠点にしたように、主要都市の近くに
別の専用空港を運営する、又『主要では無い都市』に空港を設置したり活用
することが大きな方針の一つです。これはコストダウンのための方策ではあるで
しょうが、より本質的にはこの会社のマーケッティング戦略でしょう。
つまり航空機と言う素晴らしい技術の粋が持つシーズから展開された大都市間の
輸送と言う通常概念に対し、Ryan Airの行ったのは巨大ではない都市でも遠く
には行きたいと言う必ずあるニーズから徹底して発想企画したマーケッティングです。
そのニーズを構成するのは中都市であり、客層は個人や小規模会社であり、故にコスト
をトータルに抑える必要があります。私はRyanは格安航空と言われるが、安いことを
モットーにしている訳ではなく、従来取りこぼしていた地域や客を集めて新たなニーズを
掘り起こす新たビジネスを開拓したらこうなったのだと思います。

その証拠に例えば発着は早朝や深夜が多いのですが、これは日帰りや目的地での
一日フル稼働を可能にします。そしてRyan Airの時間遵守率は100%近く
で欧州業界一正確なのです。結局お客の要求は出先で目一杯活動したい、同時に
旅行全体にかかる費用は最小にしたい。であればホテルに泊ることを何とか避けつつ
早朝或いは深夜発で発着するのが有効でありこれを実現している訳です。

最近日本でも『格安航空』が流行りですが、時間遵守率は70%未満とか聞きますと
こういう総合マーケッティングに基づいて展開されているのか心配になります。
単に『価格競争で高いと言われるのを避けるだけのおまけ格安』ではしっかりした
ニーズを軸にした競争に勝てません。日本の格安航空にも是非『安いから(しかた
ない)』ではなく『安いけど(価値がある)』戦略で頑張って貰いたいものです。

いずれにせよ、こういう総合Marketingに基づいたフライトを飛ばしている
Ryan Airの行く先は欧州でも大変興味を引かれる場所も多いので
一度 Ryan Air サイトをご覧になると色々参考にもなると思います。

さて話はHahn空港とRyan Airから実際の私の訪問記に戻ります。
前日私はSchweitzer Platz近くに宿泊したのですが、当日朝、
8:30頃にHahn空港を離陸するフライトに向けて5時過ぎのTramで中央駅
へ出て、5:30の 空港行きバス に乗車、国際空港、Wiesbadenを回り7:30に
空港へ着きました。



Frankfurt中央駅横から5:30に週発するHahn空港行きバス



コンパクトなHahn空港



時間遵守率100%近くのRyan Air機内、最新のBoeing機


さて搭乗は座席予約した人としない人の二手に分かれて行われます。大体90%は
予約無し、せっかく往復100Euroの運賃なのに座席予約だけで何十Euroか取られる
ので滅多にいません。荷物も手持ちは小さなバッグと持ち込めるレベルのトランク1個
であればOKです。私の場合トランクが規定サイズよりやや大きく迷いましたが、
初めてだったの数十Euroで荷物予約しました。結論から言うと手持ちで良かった
ようです。チェックインゲートでは厚みは無いが長さ2m位の巻き物図面を持った乗客が
手持ちだ、預けろともめていましたが。
座席予約の無い乗客は席がフリーなので空いていればどこにでも座って構いません。
座るといわゆる機内誌が配られますので欲しい人だけが受け取ります。
見ていると受け取る人は60%程度、しかしそのうち半分程度の人は着陸迄に読み
終えて返却します。
離陸は確かに時間どおり、そしてアルプス上空、アドリア海と進みPescara空港へは
将に時間どおり着陸しました。ここで直ちに進軍ラッパが機内に大音響で放送され、
『やった!時間通りの着陸です。時間遵守率1位のRyan Airです』と言うコマーシャル
放送が流れます。

Pescara空港は小さな空港です。下りるとすぐBaggage Claimがあり、
そこを出るともうホール。そのホールに入った途端にレンタカー屋が数軒固まっています。
そこでCさん夫妻が待っていてくれました。
今回の旅行では殆ど自分でネットを駆使して予約したのですが、レンタカーだけは
どうも殆どがマニュアルでオートマが1車種位しか載っていないので、本当にあるのか
やや不安でした。車が無いと動きがつかない感じなのでここだけはCさん夫妻に確認を
お願いしていたのですが、親切にもこのレンタカー事務所に話を通して確認してくれて
おまけに迎えに迄来て頂いた訳です。

Cさん夫妻のイタリア地元交渉でレンタカーはしっかりFORDのFiestaと言う
オートマ車を1週間保険代込みの約400 Euroで借りることができました。
又、ナビのTomTomを持参はしたのですがうまく動くか懸念していた所、ホテル迄
先導して頂いたので無事チェックイン迄事は運びました。
Cさん夫妻は3日後に迎えに来てワイナリーに案内しますと言うことで分かれ、
ホテルを拠点にした東南イタリア探索を開始しました。


2.Pescara初日

到着が昼前だったので午後はドライブ試運転で1時間程離れた海岸沿いの街Vasto
へ行ってみようと計画していた。その翌日の木曜日に山側にあるL'aquila(ラクイラ)
の街へ、そして金曜日はCさんのワイナリーと言うのが計画だったのです。
ところが昼食後さあ車を動かそうとするとどういう訳かIgnitionが効きません。
何度かキ―を入れ直したり、時間置いたり斜めからとか色々やってもうんともすんとも。
Ignitionが入らないとどうしようも無い。うーん、そう言えばイタリアは品質は
いい加減だと言うからすぐイカれる車を掴まされたかと急に腹が立ってきました。
で、朝の空港内レンタカー屋へ電話したらとにかく自分は動けないので鍵を持って
空港に来いと言う。ホテルでバスの番号を聞いたが、停留所に行くとその番号のバスが
中々来ません。何となく郊外へ走りそうなバスに乗って、朝来た道を頼りに、これを
大きく外れそうならバスを下りて別のに乗ると言うとんでもない方針としました。
しかし、運良くこのバスは空港へ向かったのでホッとして下りたが、あれ?バスの切符は?
おそらく何とかパスとかがあるのだろうがそういうのも持たずにタダ乗りごめんなさい、です。

さて空港で事情をワーワー話してとにかく動かないから何とかしてくれとレンタカー屋の
若いイタリア伊達男に文句を言ったら、同じFORDのFiestaのオートマ車の新車
があるからそれを使ってくれとの提案。えー、そんなのがあるのかと思っているとどこかの
おじさんがやってきて『持って来たぞ』。よくわからないがレンタカー屋もここでは相互に
融通しているのかもしれません。
それでこの伊達男が新車を運転してくれてホテルへ。では『前の車を持って帰るよ、
どこにある?』と言うので駐車場を指しつつ、しかし動かないぞ、と。伊達男は
何とかするさ、みたいな感じで乗り込んでキーを回すとぶるるんとIgnition On!
あれえーキーが効く、俺のどこが悪かったんだろう?と言うと『さあ俺にもわからん』。
とにかく新車にすり替って解決、は良いがもう夕方、Vasto今日は行きは不可能。

仕方無いから街を歩いて探索と、明日の予定を再検討しました。
結局VastoとL'aquila(ラクイラ)の両方は難しくなり、遠方のラクイラは
諦めてVastoともう1か所Abruzzo(アブルッツォ)らしい近所をネットで探索。
(アブルッツォの探索ネット情報は 【アブルッツォの旅情報】 サイトへ)
こうやって見つけたのがOlive Oil Museumです。
ここは車で40分余りと近そうだし、午前Vasto、午後Olive Oil Museumと
決めた。そこで電話で予約が必要と書いてあるので電話をして受け付けの女性に
予約を入れて計画完了。

この日はネットと色々歩いて調べた上で夕食はレストラン Regina Elenaに入りました。
高級なシーフードレストランで、ワインも揃えている。白ワインに魚料理を合わせて
いると何かのきっかけで隣の席の3人組と会話が始まり、そのうち大いに弾みました。
大体こういう所で気安く話して来るのはアメリカの人達と相場が決まっています。
やはりそのとおりで内陸のテネシー州あたりからやって来たとのこと。今日本と言うと
やはり福島原発はどうなっているか?とか色々聞いて来ます。大体こういう人達は
旅好きなので日本にも1−2度は来ているものでこれもそのとおりでした。
よくあるパターンですが一人旅なので会話しながらの食事機会は楽しいものです。
イタリアにしては上品な店だが凝った料理を用意していてそれなりに正当な
レストランにてこの日は終わりました。



3.Pescara2日目 Vasto

2日目は予定どおりVastoへのDriveから開始です。懸念したTomTomもうまく作動、
Vastoへのルートをしっかり指示してきます。このTomTomはFrankfurtのMy Zeilと
言うショッピングセンターのSaturnと言う家電量販店で山積みになっていた中から
EU主要19ヶ国対応のTomTom START 25とかの機種で何と99 Euro。買ってすぐに使お
うとしたら動かないので持ち込んで文句を言ったら『お客さん、最新版をネットか
らDownloadして下さい、これをやらないと動きません』。
それでDownloadしてから動かしたら今度は機器から『Waiting for GPS Signal』と
のメッセージが出ていつまでたってもWaiting。やっぱりおかしいと車に積んで又
文句を言いに車を発車したらいきなり作動を始めました。
どうもこのTomTomは或るスピード以上で走り出さないとダメなのか?
いずれにせよそれからは最新版のDownloadには気をつけて(これはインターネットに
登録しておくと更新があると通知してくる)、GPS信号のWaitingは無視して走り始め
ればOKでうまく行っています。とにかく99 Euroにしては便利と言うかこういうドライ
ブには必需品です。

イタリアの高速はautostradaと呼ばれ、東南イタリアではアドリア海沿岸とほぼ並行
して走っています。Pescaraからはautostrada14番、略してA14を南へひた走ります。
暫く気持ち良く走っていたが慣れてきて140Km程度に速度を上げるといきなりリンリン
とベル音。何だろうと少し速度を落とすと止むのでどうもこれはこの車についている
速度警報のようです。
そう言えばドイツは速度制限が無い所も多いがイタリアは多分元々が130とかそのあ
たりなのでしょう。勿論カーブのきつい所とか110とか指示があります。
実際にはもっと飛ばして追い抜いて行く車も多いのでちょっとストレスもありますが
一応130Kmを守っていると静かなので我慢することにしました。

ところがVastoに近づいたら今度はファンファンと又派手な音。これはどうもナビの
TomTomから発せられるようです。暫く観察しているとドイツでは車装着のナビを主に
使っていたので気がつきませんでしたが、このTomTomには速度監視カメラのある所に
近づくとファンファンと警報で知らせる機能があるようです。

これで警告音の正体もわかってやれやれですが、ちょっと調子に乗ってスピードを
出すとリンリン、ファンファンと結構賑やかなことになる中、A14をCasalbordino-
Vasto Nordで下りて高速を出る所で失敗その1です。
ドイツは高速道路Autobahnが無料なのですいすいですが、ヨーロッパも他の国は日本
と同じく料金所ありも多く、一度フランスでカードで払おうとしてうまく行かず結局
現金で払ったのです。これに関わらず一般にクレジットカードがうまく読み取れない
ケースは結構多いのです。それで料金所では現金で払おうと思っていたのに、油断
してちょっとすいているゲートに入るとそこはカード専用。そう言えばゲートの上
に札の絵と何かの絵があった、『アッ!あれは現金とカードの絵だったんだ』と今
頃気付いたが既に後に車ずらり。仕方が無い、カードが動作しますようにと祈った
が、これがマーフィーの法則と言うヤツにしっかりはまってしまいました。(マー
フィーの法則とは起こり得る全ての不都合は起こって欲しくない時に必ず起こると
かなんとかの全くありがたくない法則)。

カードはドイツの銀行のEuro払い、日本のVISAにMCと3種類も持っていたのでさすが
にどれかは動くと言う期待も空しく全部はじかれました。このゲートはカード自動
読取機だけで無人。仕方無いからこれじゃないかと当たりをつけてボタンを押すと
人が出てくれましたがイタリア語で何か言っています(わかりません!)。とにか
く英語でカード3枚やったけどダメだどうしてくれると喚いたら、すっとゲートが
開きました。やれやれと車を出してそのあたりに止め、当選誰か取り立てに来るの
だろうと少し待っても誰も来ません。まあ面倒だし海外客だからフリーパスさせて
やろうと思ったかどうかはわかりませんがとにかくタダで通ってしまいました。

このあたりはさすがイタリアのアバウトさ、昨日のレンタカー動かずとか色々起こ
りますがとにかく”まあ適当にやれや”の雰囲気はあります。
しかしとにかくゲート上の絵をよく見てお金の絵の下に行くことをお勧めします。

さてこうして日本なら国道とか県道レベルの自動車専用道SSの16番、SS16へ
と乗り換えてPescaraから1時間余りでVastoの街に着きました。

Vastoの市街は海沿いの高台にあるので、ここからはアドリア海沿いに美しく続く
ビーチを眺められます。勿論海辺へは車で5分も走れば着きます。海水浴向けに
駐車場などの設備も整ったビーチはVasto Marinaと呼ばれて市街から少し離れた
海岸になります。そこは勿論抜群の美しさとすばらしい海水浴場ですが、それ以外
にも景勝地の海岸は随所にあります。海については他に有名なのがTraboccoと呼
ばれるこの地に伝わる伝統漁法用の施設(跡)です。これは木で海の上に張り出し
た小屋を建てそこから網を投じる漁法でフェニキア人が開拓したと言われています。


Vasto市中心から美しく広がるVasto Marinaビーチを展望


Vastoの街は小さいので歩いて見て回れます。
Via Vittorio Venettoと言うメインストリートが走り、ここから海側に街の見所
が固まっています。特にCastero Caldorescoと言う中世のお城からDiomede広場へ
入り、Corso De Parmaを通ってPudence広場とCattedrale di San Giuseppeの奥に
あるPalazzo d'Avalos e Musei civiciに至ります。このあたりが街と観光の中心
でしょう。Palazzo d'Avalos e Musei civiciはアブルッツォの代表的ルネッサン
ス建築で今は市立美術館として使われています。
この建物とPopolo広場を挟んで向かいにインフォメーションセンターがあります。


中世からの城Castello Caldoresco



1262年からの遍歴を刻むCattedrale di San Giuseppe


さて、このように古い街、美しい海があり、更に山側にも豊かな自然や歴史跡が数々
残されているのがアブルッツォの特徴です。アペニン山脈の高い山からは遠いですが
この地域でも小高い山の自然が海と共に楽しめるようです。
私は時間の関係で実際には足(車)を踏み入れなかったのですが、インフォーメーションで
得た情報からこのあたりの自然探求を、そして更に考古学的な遺跡やミュージアム、そして
レストランなど地域情報たっぷりのサイトがありましたのでご紹介しておきます。

Vastoとその山側を含む一帯はTrigno Sinello地域と呼ばれ(Terre del Trigno Sinello)、
豊かな自然と素朴な歴史遺跡を楽しむ地帯として新しい体験型旅行の
実行環境が整備され、これが次のサイト Trigno観光 によって案内されています。
ここでは左に地域割引カードやイベント情報がありますが、右側のInteractive Mapと
アウトドア情報が秀逸です。但しこのサイトで注意すべきはイタリア語なのでGoogleの
翻訳を使いたくなりますが先ずは素直にイタリア語で表示させねばなりません。最初から
日本語で表示させようとするとInteractive Mapがうまく動かない場合があります。
イタリア語で表示後、その中に出てくる単語をGoogle翻訳などで変換させて見ます。
例えば右のinteractive Map(Mappa interattiva)をクリック
すると右側にずらっと項目が並びますがその一番上はDove Dormireとあります。
この単語をGoogle翻訳のイタリア語から日本語に放りこむと『寝る場所』と出ます。
つまりホテル、ホステル、民宿などの案内ですね。次のDove Mangiareは
『食べる場所』ですね。左の一覧、地図と併せて活用すれば色々な情報が得られます。
これを駆使すればきっと今迄に無い新しい旅と体験が作れそうです。


4.Pescara2日目 Olive Oil Museum
                                                      オリーブオイル販売サイトを見る

さて、午後4時にOlive Oil Museumを訪問する約束をしていたので、昼食もそこ
そこにVastoを昼過ぎに出発しPescaraへと向かいました。遅くとも2時位には戻れ
て、一休み後ホテルを3時過ぎに出れば良いとの計算です。

ところがHappening!ナビに帰りのルート設定するため脇に寄ってハザードランプで
停車しました。そしてナビ操作をしていた一瞬に、何と横を走行中の車が斜め前で
追突してしまいました。軽い追突なので負傷も無いようですが、追突された方に乗っ
ていたのがイタリアの車好き人間のようで、自分の大切にしていたスポーツカーが
傷ついたので怒って追突した後の車の女性に食ってかかっています。
とにかく警察が来る迄は一寸も動かぬと言う構えです。結局一方通行のようになって
しまいました。ここは街の出入り口で混雑する場所なので苛立つ後続車からプ―プ―
とブーイングです。
いやあとんでもない所で脇に止めてしまったと暫く様子を見てもすんなり出れる
雰囲気はありません。4時に約束もあるし、ここは突撃しかないと窓から手を上げ
てごめんごめんしつつ強引に割って入りました。ぺこぺこお辞儀はイタリア人には
通じなかったでしょうが、困っている妙な日本人だから仕方無いと言う感じで何と
か譲ってもらって脱出。結局Pescaraのホテルでは30分も休めずに今度はOlive
Oil Museumへと出発しました。
このMuseumはChietiと言う市街から山の方へ30分程走ったBucchianicoと言う街に
あります。指定された広場に着くとこの街は高台にあるようでとても良い眺めです。


Bucchianicoの街の広場からの広々した眺め


暫く待つと電話に出た主であるFrancescaさんが現れて建物へと案内してくれました。
Museumと言うのでずっと開いていると思ったのだがそうでは無く電話で予約を受けて
その時間だけ彼女がやってきて鍵を開け、案内して回るいわばOn Demand Museum
です。確かに街の中では無いのでずっと開けていても無駄が多い。興味を持った人に
だけ丁寧に見せると言う方針のようです。
古い使用されなくなった建物を活用しているが中は丁寧な作りで、Olive Oilが
この地域で昔からどのように作られてきたかをたどっています。Francescaさん自身が
Olive Oilの現役ばりばりの農場主であるためOliveとその関連には愛着が感じられ、
30分程で回れる小さなMuseumだが心地良い場所です。


伝統的なOlive破砕の木製装置、中々迫力がある



搾られたOlive Oilの最初の収穫容器



この地のOlive Oilの歴史を語る各種の道具


さて展示を見て回った後はOlive OilのTastingがあります。
これが中々楽しくて、何種類かのOliveを実際試してみます。
どうやって試すのかを教えてくれて、確かにOlive Oilにも色々な味わいが
あると納得させられます。とにかくFrancescaさんが精魂こめて作ったOlive Oil
そしてMuseumですからOliveに興味のある人は勿論、今迄はあまり歴史も
味も知らなかった人にも大変面白い体験になると思います。
このMuseumのサイトは右記 Olive Oil Museum です。このサイトの右側の欄
の中にCantinarte Museum of Oilとあるのがこの博物館関係です。但し、
上に書いたようにOn Demand(訪問時を予約して開ける)方式ですからサイトに
ある電話 +390871575427にかけるかメールをinfo@cantinarte.comに送って
Francescaさんに予約を入れる必要があります。上記サイトで見られるように
一般には団体で来られるケースが多いようですが、小グループでも私のような
一人旅でも快く案内してくれます。

このOlive Oil Museum訪問を含め、それを使った料理教室やアブルッツォの自
然や遺跡など、或る程度好みを入れてアレンジする旅行の企画サイトもあります。
興味のある方は 【アブルッツォの旅情報】 をご参照ください。

6時前にBucchianicoを出てPescaraのホテルに戻りました。
今日の夕食はホテルのある駅前からは15分程歩きますが川沿いに食べ物屋通り
があるのを発見したのでそちらへ。数あるレストランからI-Templariを選んで
食事をしたが中々味も良く、価格もリーズナブルです。
この通りは屋外にテーブルが出されている所が多く独特の雰囲気もあります。
残念ながらこのレストランはサイトは設けていないようです。

さて食事を終えてホテルに戻りメールをチェックするとFrancescaさんから
メールが来ていました。そう言えば教えて欲しいと言われ名刺を渡したかな?
主旨は明日(金曜日ですが)の夜是非FamilyのDinnerにご招待したいと
言うものです。多分Olive Oil Museumで最後に日本人から見た見解と
言うことで『日本の人は健康に敏感で健康志向には弱い。しかし単に健康的とだけ
言うのでなく成分とか効力を少し唄うといいですよ』などと一端の意見を言ったので
もっと色々聞きたいと思ったのか一人旅なので家庭料理を食べさせてあげようと
思ったのか、とにかく喜んで行きますありがとうのメールをすぐ返しました。


5.Pescara3日目 Cさん一家のワイナリー
                                                      ワイン紹介を見る

朝Cさんが車でホテルに迎えに来てくれました。今日はいよいよCさんのワイナリーを
実地見学です。車には奥さんは勿論、息子さんも乗っていて一家総出です。
cさんのワイナリーはPOGGIOFIORITOと言う町にあります。
ここはPescaraからVasto行きの高速A14を少し走り、Ortonaと
言う町あたりで山側に上がって行きます。やはり1時間弱で到着、先ずは葡萄畑
を回って色々見せて頂きました。
ワイナリ―はPOGGIOFIORITOにあり、ここも小高い丘になっています。
葡萄畑はそこからかなり広い範囲に広がり、Cさん一家はかなりの大醸造家と
言うことがわかってきました。
葡萄畑でも最近は収穫の効率化のための工夫で針金を這わせたり、BIOにも
力を入れているとのことでした。



Cさんの葡萄畑の向こうの丘がPOGGIOFIORITO




葡萄畑の彼方に見えるアペニンの最高峰




収穫効率化のワイヤなど色々な工夫もある




品質維持のため20年以上で順次土地から作り直しになる




BIOにも力を入れている


葡萄畑を堪能した後はいよいよ醸造所です。醸造所はPOGGIOFIORITOの町、静か
な住宅街の端にあります。屋外に最初の工程のための設備がありますが、建屋の
地下に主な醸造工程の装置を施設しています。1900年から始まったC家のワイナリ
ーですが、ご主人のCさんは進取の気性に富んだ方で、その伝統を守ると同時に
コンピュータ制御も積極的に導入されています。工程はこの効率制御を活かすよう
にぐるりと半楕円型に配置されて一見すると立派な現代的工場のようです。
勿論そのコンピュータ制御で制御する温度管理や色々なノウハウこそがC家の長い
歴史の賜物であり、これをうまく活かすのが主眼の現代的制御手法であり、高い
品質とリーズナブルなコストを両立させています。
地下には他に樽を貯蔵しており、これはBarriqueと呼ばれるPremium Wineとなって
出荷されます。

ここで作られるワインの多くはMontepulcianoと呼ばれる品種でおいしい赤ワインの
元になります。Abruzzo州のMontepulcianoと言う意味のMontepulciano d'Abruzzo
はイタリアで品質認定されているDOCと言う高品質分類の300種類の一つです。
この中で更に高い品質のものがDOCGと呼ばれますがこれは30種類程度が登録
されており、Montepulciano d'Abruzzoも1銘柄が入っていますが、Cさんのワイ
ナリの商品はまだここには登録されていません。
とにかくこうやって畑から醸造工程、貯蔵樽などを見学させて頂いた後の試飲は
特別でフルボディの感覚ながらボルドーあたりに比べるとソフトな口当たりも
感じさせるのはアドリア海とアペニン山脈を亘る気持ち良い風のせいだろうか?
などとの感慨を起こさせます。
CさんからはとっておきのLa Toscaと言う銘柄ワインを是非日本の皆さんにと
オファーを頂きました。これは日本では非常に希少な価値あるワインです。
ご興味ある方は イタリアの友人からのワイン からご注文ください。


圧搾

醸造所屋外にある最初の葡萄圧搾工程




発酵保管にも温度制御含めたノウハウを駆使




地下には樽で寝かせる大きなスペースも


Cさん一家とは醸造所近くのLocalなレストランでランチを共にした後、最後に
POGGIOFIORITO町を案内して頂きました。
昨日のBucchianicoと似た雰囲気もあり、本当に数百年前の建物なんかが
平気で一杯現役でやっています。このあたりはこういう小さな町が特に小高い丘ごとに
あって、その合間にOliveや葡萄がたわわに実る豊かな地域です。

記念

POGGIOFIORITOの街にてCさん夫妻(左と中央)と記念撮影


帰りの車で紹介されたのは有名なパスタの工場です。これはDE CECCOと言う会社で
聞いた途端にオッと思いました。日本にも多く輸入されスーパーで売られているので私も結構
食べています。
Cさんのワイナリーと同様、Ortona近くの丘にありますが昔一度Pescara付近の海岸
近くへ工場を移したそうです。ところがパスタに重要な水が違ったのでやはりダメと言うことで
すぐに山の方に引き上げたようです。パスタはデユラム粉と水ですからやはり妥協できなかった
のでしょう。

ホテルで一休みすると夜8時にMs.Olive OilのFさんが夫婦で現れました。
私はてっきりBucchianicoに行くとばかり思っていたら、何と結構近くのChieti
と言う町のアパートに着きました。
この最上階にファミリーで3室を借りているそうです。家長のNさんと奥さん、Nさんの息子で
あるXさんと奥さんおよびお子さんのSちゃん、そしてNさんの娘であるFさんとご主人のDさんが
それぞれに独立に部屋を借り、週末には皆さんがNさんの部屋の大きなベランダに集まって
食事を楽しむとのことでした。活発な一家なので色々な方を招いているようで、今日は
ちょっと変わった日本人と言うことで招かれたのでしょう。

Nさんはやはりワイナリーをやっています。奥さんはChietiの街でずっと学校の先生を
やってきたのだけれど数か月前に定年で退職されて近所の子供達にピアノを教えたり
されているとのこと。息子のXさんは化学関係の会社を自分で起こされ、アジアにもよく
出かけるとのことでした。残念ながら日本には来ていないがシンガポールや韓国はよく行く
そうです。奥さんはギリシャ人、お子さんのSちゃんは可愛い3歳弱の女の子ですが人みしり
して中々近づいてくれません。しかし、私が持ってきた電子辞書でイタリア語の『おいしい』と
言うのを探していたら珍しいので寄ってきて、それ何?一緒にBuono!と言ってにっこりです。

FさんはOlive Oil系を仕切っていますがご主人のDさんは建築関係で、今は
L'aquila(ラクイラ)で復興関係に携わっているとのこと。L'aquila(ラクイラ)では
2009年春に地震があって大きな被害が出ました。アペニン山脈が走っているから日本と
同じように時々大きな地震があるようです。でも今回は寄れませんでしたがラクイラも
歴史と由緒ある魅力ある街のようです。

ディナーはNさんの奥さんが手作りくださった家庭料理が中心でNさんのワイナリーで
作っているこれもMontepulciano d'Abruzzoをご馳走になりましたが
しっかりした味わいで色々話がはずみました。
私がこのEoEサイトを経過うしている事を説明して、名産品としてNさんのワインやFさんの
Olive Oilを日本でも売れると素晴らしいねと言う話から、この地域の旅行の話に
なり、Fさんからは『滞在型、企画型の旅にはここアブルッツォはぴったり。実際そういう
新しい旅は始まっている』とのこと、Fさんが加わっているアブルッツォ旅のアレンジ仕掛け人
を紹介してもらうことになりました。明日からは南の方へと計画を組んだので、Pescaraに
戻って来る翌週木曜の午後にMeetingを設定してもらえることになりました。

かくしてpescaraの足かけ3日は終わりです。



ChietiアパートベランダでのFamily Dinner
左手前がFさんDさん夫妻、その奥がNさん夫妻、右がXさん夫妻とSちゃん




6.PescaraからViesteの筈が −大失敗の4日目ー 

Pescara4日目は土曜日です。朝食もそこそこに8時過ぎにレンタカーFiestaにて
Viesteに向かいます。これはVastoから更に南へ100Km程走った所からアドレア海に
突き出ている半島の先にある街で、青い海に囲まれて昔からの古い街並が何とも言えぬ
風情で続く出色の滞在先です。
−と言うのは全てネットで調べた想像の賜物なのですー。
勿論実際は行ってみないとわかりませんが、とにかくネットで色々調べるとこの半島は
Cargano国立公園となっていて緑も多い中々魅力的な場所に見えます。
滞在先に選んだホテルがHotel Punta と言うのですがその Hotel Puntaサイトを見て
これは凄い所ではないかと思わず魅せられてしまいました。
土曜の昼にここに着いて青い海を見ながら週末を過ごした後、月曜朝からBari,Lecce等の
南イタリア、Puglia(プーリア)へと向かう予定です。

Viestaへの道は途中迄はPescara2日目に行ったVastoと同じで、更に30分程走って
から半島へと抜けて行きます。最初はそこそこの広い道で海がのんびり見えたりして快い道
なのですが、50Km程走ると段々山の中でくねくねカーブとなってきます。
大体分岐も多く段々どこを走っているかわからなくなります。一応ナビを信じてそのとおり
行くつもりが、複雑な分岐え少し間違えるとナビとしては次の修正をかけてくれるのですが、
これは間違ってはいません。しかしかなり細い道や農場の合間の農道みたいな道が示されて
修復を図るようになっており、走っているうちにこれは途切れるのでhないか?とか
不安になります。又、石がごろごろしていて運転席でバンバン跳ね上がりながらとか
苦労の連続です。こういう時はSSとついた大きな道に出るとホッとします。
そしてこういう苦労を重ねながらも昼頃に漸く目指していたViesteのHotel Punta
に到着しました。

さて、荷物を入れてチェックインとなった所で持って来た大きなトランクはあるのですが
小さなリュック型のバッグの方が見当たりません。トランクルームも後部座席も隈なく
見ても無い!ちょっと真っ青です。幸いにもパスポートやカードは大きいトランクに入って
いますがリュック型にはパソコンとカメラはじめ電子機器関係が入っています。
そう言えばイタリアも南に行くとぶっそうだとの話を思い出しました。車のキーをかけて
おいても簡単に盗まれたと言う友人の話はイタリアじゃなかったかな?とか途中で高速の
休憩所で休んで、勿論鍵はかけてきたがコーヒーを飲んでいる間にやられたか!とか
色々な思いが頭をよぎります。

そこで昼過ぎのまだのんびりしたフロントに居たまだ若い受付女性に実はここに泊る者で
Pescaraから来たがカバンの一つが無い、困ったと言った所、ではチェックしましょうと
Pescaraのホテル名を聞いてネットで探しイタリア語で電話をしてくれました。
その結果何とPescaraのホテルのフロントでチェックアウトしてカバンを積み込んだ時に
ごたついたためにフロント横に置いたまま忘れてやってきた事が判明しました。
私がもう一度木曜午後にPescaraに戻ると聞いて、カバンをしっかり確保しておくよう
連絡をしてくれました。『これで大丈夫です』と案内された部屋は最上階の部屋で
眺めは抜群、少し古く飾り気が無いが海の雰囲気に満ちた部屋は印象的でした。
しかし、そこでちょっとぼんやりして考えるに、このままではパソコンもカメラも無いまま
ViesteもBariやLecceの南イタリアも回る羽目になります。
これではあまりだが、どこでカバンを取りに戻るかと言うと月曜と言うのはあるがそれでは
かなりの時間浪費になる。結局今取りに戻るしかない、との結論になりました。

もう一度フロントに戻り、やはりカバンを取りにpescaraに戻る。片道3時間だから
往復6時間、今はまだ昼だから今夜にはもう一度来れる筈だ、と女性に告げると
彼女は少し考えて、『私が良い提案をしましょう、今日はpescaraに戻ってもう
一泊しなさい。こちらへは明日来れば良いでしょう。今日のHotelPuntaは
キャンセルしてあげます、そしてpescaraのホテルが今からでも取れるかやって
みます』とテキパキと提案どおりに進めてしまいました。
確かに彼女の判断が正しいように思え、礼を言って昼食だけはここで済ませようと
Hotelのすぐ向かいのレストランに入りました。
ここは本当に素晴らしいと言うか独特の眺めです。海が青い、空も青い、深い青が
何か時間も止めてしまったような錯覚に陥る独特のアドレア海時空が広がります。
(でもすみません、当然写真はありません、カメラが無かったので)
ああ、忘れ物さえしなければ素晴らしい週末になったろうに!

ところで頼んだスパゲッティボンゴレが中々来ません。どうもここの男の店員は店に
入った時から態度が今イチで、ボンゴレを注文した時もそれだけかよ〜みたいな
不快な態度だったのですがとにかく20分程待ってもパンを持って来ただけ。
どう見ても混雑ピークは過ぎて人はまばらなのにと、段々いらいらしてきました。
彼を捕まえて催促してもわかったもうすぐ、と言うぞんざいな態度。もう一人女性の
ウェイトレスが居て雰囲気を嗅ぎ取ったのかちょっとそわそわとこちらを見つつ男性と
話したり、やっとエンジンがかかったか?
ところがここへ新たな4-5人の客。それはいいが又10程時間が経ってしまい、
何とあろうことにそちらの客には料理が運ばれ始めました!
ここへ来てさすがに切れて、私は急ぐからキャンセルするよとそのレストランを立ち
去りました。このように不愉快な店だったがその待っていた間に見えていたすぐ傍の
海は素晴らしかったです。しかし、テキパキと親切に対応してくれたホテルのフロント
女性とだらだらと不愉快なウェイター、本当に色々な人がいると思いつつボンゴレの
代わりのサンドイッチをかじりながらViesteを発進しました。

Pescaraへの戻りは行きの教訓を活かしてSS89と言う整った道を走っていた
のですが、やはり30分程走った所で分岐が難しかったり工事で脇へ逸れてナビを
頼りに細かい道を経由して戻ると言うパターンに。どうもこの半島のLago di Varano
(Lago湖)あたりは隘路になっているようで中々の難路です。そうして狭い路を
走っていると同じように迷い込んだと思われる旅行者の車がうろうろ。このあたりは
共感があるのかゆっくり道を探しながら走ってもイライラした追い立てはありません。
大体は狭くてもがたがた路でも抜けてきたのだが遂にナビどおりではあるが、どんどん
道幅が狭くなりかつがたがたで最後に何とあろうことか鉄製の門がクローズと言う最悪
ケースに遭遇。切り返しできる余地も無く狭い石だらけのガタガタ路をバックでかなり
戻るしかなく、慎重にやったのだが石にハンドルを取られ脇の石塀にがしゃ!
あー、これはFiestaの新車だったなあ、高くつくか?とがっくり。
悪戦苦闘を続けて何とか脱出、こういうのを続けてやっとA14に戻り、Pescaraへ
着いたのはもう5時頃。Viesteの女性の判断は正しかったのです。

Pescaraのホテルのフロントの人はもう3日も泊ったので顔なじみ。忘れた鞄は
しっかり確保していてくれました。部屋に入って考えるに明日再度Viesteに行っても
精々日曜午後を過ごすだけで翌月曜朝からは慌ただしく南へ向かいます。
車をぶつけて傷がついたりレストランでの不快な思い出も何となく気持ちをくじかせ、
あの素晴らしい青い海と空の魅力はあるが今回はスキップを決心しました。
viestaのホテルにかけると昼間の女性が出ました。良きアドバイスの礼を言い、
明日もキャンセルを告げると快く了解してくれました。
ここから日程は組み直しです。日曜は世界遺産のCastel del Monteに
寄ってBari迄、翌月曜にはLecce迄行きます。ここで2泊して水曜に再度
世界遺産Alberiberroを経由してBariへ戻り、1泊して木曜午後には
Pescaraへ。夕食をFさん夫妻と友人の旅行企画マンと食事、ここはChietiの
ファミリーディナーのお返しもあってこちらでご馳走、但し店は地元の彼らの方が詳しい
ので選んでもらうようにしました。
こういう計画変更もPCですぐできるのが今の時代の良い所です。因みに電話も今回
初めてですがSkype Outと言うこちらSkype、相手は普通の電話と言うタイプ
のサービスに契約したのですが安くて便利で日本、ドイツ、イタリア、相手と自分の位置を
気にせずどんどん連絡を取れて良かったです、お勧めです。
今日は大失敗の日で疲れたので夕食のレストランはあまり探し回らず、2日前に行った
川沿いの食堂通りのもう1軒、良さそうなレストランでゆっくりと食べました。




7.世界遺産Castel del Monte経由でBariへ

日曜日、失敗の昨日から気分を変えて先ずは世界遺産Castel del Monteを
目指します。半島に寄らないでまっすぐA14を快走してAndriaで山側に抜けて行きます。
ここも街を外れて暫く走ると段々と乾いた畑の中のLocalな道になるが半島と違って
カーブの山、複雑な分岐、幅が狭くなったり石ごろごろ等は無く、単にちょっと田舎じみた
道を淡々と走るだけです。
それにしても若干の起伏はあるものの広々した平地で何も見えない、一体そんな城が
こんな所にあるのか?と思えます。ナビで残り数分になって漸く道の看板にCastel del
Monteの名が出て、城が遠景にて視野に入り始めます。
ここは城迄は車を乗り入れられず、専用駐車場に停めなければなりません。そこからは
シャトルバスに乗り換えです。
やって来た道では他の車は稀にしか見かけなかったのですが、駐車場に入ってみると
結構な数の車が停まり、観光バスもあるので結構な人で賑わっていました。
AndriaからではなくBariからとか他のルートも色々あるのでしょう。



Castel del Monteには駐車場に車を置き、バスで行く


この城は本当に畑や野原のど真ん中にポツンとあります。やや奇異な感じを受けますが、
ゆるく上った敷地と城の建物から見た眺めは独特の景色ではあります。
建物の特徴はハ角形をテーゼにしてと言ってよいのか、とにかく建物外見も部屋の中も
ハ角形を意識せざるを得ない程徹底していますが幾何学やピラミッドで有名な黄金比
を用いているとのこと。又、この建築位置はキリスト教とイスラム教の聖地を結ぶ線上に
あるとか。このように建築主であるシチリア王フェデリーコ1世(神聖ローマ皇帝のフリード
リヒ2世)の凝った知識と趣向に因るものとの説明がありますが、世界遺産に選ばれ、
かつその中でも高位にランクされているようなので城好きの人にはたまらぬ魅力が
ありそうです。そういう趣味に疎い筆者も広野に忽然と現れる雰囲気と凝りに凝った
作りに思わず惹かれてしまいます。そしてこの突飛な城をイタリアが如何に大切に
評価しているかはイタリアの1セント硬貨の図柄になっている事からも窺えます。
城好き、フリードリヒ2世好きの方は車や観光バスなら割合容易に訪れられるので
楽しまれると良いでしょう。城好きはともかくフリードリヒ2世好きなんているのか?
と思われるかもしれませんが、この王様はイタリアでは歴史上人気があるようです。



Castel del Monteの外観




Castel del Monteから眺めた南イタリアの風景




城好きで賑わう八角形基準のCastel del Monte内部


午後Castel del MonteからBariへと向かいましたがこれはSSで
大変良い道です。スムーズにBariのホテルに着きました。
Bariはプーリア州の州都、大変大きな市であり、既刊のポピュラーな案内書にも
説明がありますが、一応この日、翌日と帰りの水曜夕方に自らの足で回ってみた街の
案内を 【Bari案内】 に書きました。
地図 と併せて見て頂き参考になれば幸いです。
尚、Bariへは本訪問記最初の 1.FrankfurtからPescaraへ で紹介した
Ryan Air のフライトがあります。今回は東南イタリアにこだわりましたが、Bari迄来ると
もう南イタリアです。Bariへ飛んでからここを拠点に南イタリア或いは東南イタリアを
回るのも良いと思います。




8.Bariを拠点に南イタリアを巡る

さてBariからはLecceに向かいましたが、途中Brindisiと言う町に立ち寄り
ました。ここからはギリシャに船が出ています。小ぶりだが由緒ある町で古代ローマの円柱
Colonna Romaneが港近くに聳えていたり、考古学博物館などがあります。
筆者は短時間しか滞在しなかったので街をぶらっと歩き、港の中心カフェで休んだだけ
ですが現地で得た情報を中心に 【Brindisiの案内】 を書きましたので
地図 と併せて見て頂き参考になれば幸いです。

この後1時間程でLecceへ到着、ここで2泊して丸一日街を楽しみながら調査しました。
Lecceについても既刊の本に案内がありますが自らの足で回ってみた街の案内を
【Lecceの案内】 に書きました。
地図 と併せて見て頂き参考になれば幸いです。
Lecceを出た水曜日は世界遺産Alberobello(アルベロベロ)ともう1か所Trani
経由でBariへ戻りました。
LecceからAlberobello(アルベロベロ)はLocal色はあるが平らでスムーズな
自動車道で1時間半程で着きます。アルベロベロは既に大変有名ですからここでは
詳述しませんが、やはり独特のとんがり屋根の家トゥルッリが並ぶ光景を見渡せる
広場が一番印象的です。



Alberobello中心部の広場から見たトゥルッリが並ぶ光景


やはりスムーズな道を又1時間余り走り、Bariを通り越してToraniと言う海外沿いの
街に来ました。ここはネットで見つけた海に突き出た感じの教会が気に入って寄り道を
決めたのです。ナビでこの教会を目指しますと教会前が将に駐車場になっており、ここに
車を停めて街を一歩きしました。
教会では丁度結婚式が行われていましたが、こんな風景と立派な教会での式は
一生の良い思い出に残ることでしょう。
ここはBariやBrindisiと違って漁港であり、漁船が数多く泊っている風景が
落ち着いた中でも生活の活気を感じさせてくれます。港の湾に面したカフェで簡単な
ランチを食べましたが、ヒラメのような新鮮な魚をオリーブ油などを使ってうまく焼いてあり、
さすがに漁港と思わせます。
街も伝統ある漁師街の風情がって観光ずれもしていないので、アドリア海沿いの街を
ゆっくり楽しむ滞在には良いかもしれません。



Traniの海べりすぐにある教会


漁港Traniの静かな湾の風景


海の街の雰囲気を醸し出すTraniの街並み




9.BariからPescaraへ、そしてFrankfurtへ

さてこの水曜日夕方にTraniからBariに戻り3日ぶりの宿泊です。一度歩いていま
すがこの前は日曜日で静かでした。今日は水曜日、多くの店も開き活況で随分違う
ので再度見て回りました。
街歩きの後夕食のレストランを探していて、日本人がやっている日本食屋さんが
ホテルのすぐ傍にあることを発見しました。思えばずっとイタリアン、さすがに
そろそろ違う料理と言う欲求に負けてこの店にふらふらと入りましたが中々おいし
かったです。特に天ぷらは感激、意外と天ぷらのような料理がイタリアンには少な
いせいでしょうか。(フリッターが近いですがメニューにある所が結構限られてい
る気がします。)

そして滞在最終の木曜日、朝食後すぐにBariからPescaraへ車を走らせました。
A14で一直線、至って単純で昼過ぎにはPescaraへ到着。翌日金曜日は早朝のフラ
イトなのでレンタカーを午後には返しに空港へ行きました。
例の伊達男が居たので『実はガタガタ道でぶつけて傷がついたんだけど』と賠償
覚悟で言うと『じゃあその書類に簡単に書いておいてくれ』と言うだけであっさり
返却OKでした。Frankfurtに戻ってからこの話をすると友人からは『そりゃその位
は保険でカバーされるから大丈夫なんだよ』と。
確かに新車だから傷が気にはなったがイタリアの車を見ていると結構ボコボコが多
く、あまり気にしないのかなあ?と思って一応ここでは決着しました。

しかし、これには後日談があり、結局約1週間の400Euro程度の費用に対し、
最後にカードから引き落とされたのは700Euro程度、約300 Euroをやはり修繕
に払わなければならなかったようです。
この内訳だとか問い合わせは全く来ませんでした。これは滞在したドイツの住所
を連絡先にしてあったのですが暫くして引き上げたので連絡がつかなかったのか、
あまり詳しく読まなかったのですが契約書で或る程度の金額は自動で承認していた
のか、そこは不明です。しかし、これ以上掘り返すと時間を使う上に却って厄介な
事になりかねないのでこれにて決着としました。

木曜夕方、今回の東南イタリア訪問の最後の夜はPescara3日目の前週金曜日夜に
約束したとおりFさんがアブルッツォ旅のアレンジ仕掛け人であるL氏を連れて
ホテルにやって来ました。彼を紹介してもらった後、色々と話を聞くことができま
した。 L氏はPescara生まれですが家庭の事情でハイティーンでカナダに渡り、カナダ
の大学を出て働き始めた後30代で郷里Pescaraに戻り旅行企画関係の仕事を始め
たそうです。
彼の方式はアブルッツォの知人友人でネットワークを作り、そのネットワークを
企画やカスタマの好みごとにアレンジして旅を作ると言うやり方です。ネットワー
クに入っているのは地元の観光関係者やFさんのようなオリーブ生産者、ワイン生
産者、農家などなどです。

そして単に見物するだけでなくアウトドアや料理など地域の特色を体験するのを
主眼にアレンジします。アグリツーリズムと同じかと言うと重なる所はあるが必ず
しも農園には拘らず、従ってむしろアグリツーリズムも含んだ、体験手作り型企画
旅行と言ったところでしょうか。
Lさんの話ではこれが先ず英国の旅行会社とやった所大変人気が出たので昨年あた
りからは米国からも募集しているとのことです。この日本版をやると面白そうなの
で是非やりたいね、と言う話で意見が一致しました。何とかEoEサイトで募集して
みることを考えましょうと言うことで私が宿題でを持ち帰りました。
その後何かモデルとなるコースや旅程を出してもらって検討しようとそのモデル例
を要求しているのですがL氏がかなり忙しいようでこの話はまだペンディングのまま
です。それでも彼個人が既に募集している企画旅行はサイトが開いていますから、
興味のある方はコンタクトしてみて下さい。このサイトを含むアブルッツォ旅行の
情報を次の 【アブルッツォの旅情報】 にまとめてあります。

さてLさんとの打ち合わせ終了後、FさんDさん夫妻も加わって海岸通りのシーフ
ードレストランへ。地元の人達だけあっておいしくて安いレストランを知っていて
案内してもらいました。そして料理やワインの頼み方もイタリア語でウェイターと
ガンガンやりとりして頂き、大変気が利いたディナーになりました。
翌朝5時起きで早朝フライトに乗り込み、又もや時間どおりの飛行にて正確に8時
にpescaraを離陸発、9:30Hahnに空港着陸でドイツの滞在先へと戻りました。


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